2015年6月20日(土) スマトラ島トバ湖~ブキティンギ
♡スマトラ島、ブキティンギへの山中で見た夕焼け。
今日は、夜行バスで一晩掛けてブキティンギへ移動します。
たった一泊だけのD’POS(ゲストハウス名)でしたが、明るく陽気な宿の女主人、気の良いドイツからのバックパッカー野郎、そして、どこか哀愁漂う宿の雰囲気。出来ればもっとゆっくりしたかったとの想いに駆られます。
しかし、週末は移動日に、というマイルールに従い、すでにバスのチケットは買っていますので仕方ありません。
夜行バスを利用するので、昼まで部屋でゆっくりし、やがて時間が来たのでいよいよ出発です。宿の人に別れを告げて、隣のリゾートにある船着き場まで行きます。(基本的に連絡船に合図するとどこにでも船を着けてくれるが)
連絡船の時刻表などは無いので、船が来るまで木立の下のテーブル席に座って待っていました。
すると、後から可愛い女性がやって来ました。そして、何故か他にもベンチは在るのに、私の前に座ってニコニコしながら話し掛けて来ます。(思わず舞い上がる私。ここの宿泊客と勘違いしているだけなのだろうが)
(*^▽^*)
このリゾートに勤めていて、週末になったので実家に帰るのでしょうか。
結局、連絡船のやって来るまで彼女と楽しいひと時を過ごすのでした。
しばらくして、連絡船が来たので、「こりゃ~、初っ端からさい先が良いや」と思いつつ船に乗りました。 ♡船の上から見たD’POS。短い滞在だったけど思い出深い宿だった。もう、二度と来る事も無いと思うと感懐深いものが。
船は30分程でパラパッに着き、彼女とは、ここでお別れです。久しぶりに甘く切ない感傷が胸の内を占めます。(しまった!連絡先を聞いとけば良かった)
(^-^)ノ~~ ( ゚ ▽ ゚ ;) 。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
すぐに船着き場の近くにある旅行代理店に行って、バスのチケットを見せ、店先の椅子に座ってバスを待ちます。
しばらく待っていると、ここのボスが、やって来た乗合バンに乗るよう促します。
私は、ここからブキティンギ行きのバスに乗るものと思っていましたが、どうやらこの乗合バンで岡の上のバスターミナルまで行くようです。
この乗合バンは軽ですので、中はかなり狭く、座席は改造して、向かい合わせにベンチが設けられています。
私の向かいに老婆が一人座っていました。顔に刻まれた年輪から察するに、ずい分ご年配のようです。
足元は素足でした。さすがにスマトラ島でも裸足の人は町中ではめったに見掛けません。
その足元にはコメの入った大きな袋を置いています。この町にコメを買いに来て、これから山の中の家に帰ろうとしているのでしょうか。
私と老婆を乗せた乗合バンは、大きなエンジン音を響かせて坂道を上りだしました。
私が、(今夜は一晩中、バスの中か。少しは眠れるかな)、などと考えていると、前に座っている老婆が、笑みを浮かべながら「こんにちわ」とたどたどしく言って来ました。
今回のインドネシア旅行中、、私が日本人と分かると現地の人が片言の日本語でずい分、声を掛けて来たものです。
しかし、それは大半が若い人でした。
トヨタやホンダといった日本の車やバイクへの興味や憧れから日本に関心を持ち、話し掛けて来るのでしょう。
しかし、この老婆が日本の製品に興味があるとも思えませんので、私は、少し意外な感じを受けましたが、私も、「こんにちわ」と返事をします。
すると、老婆は、さらに何か言おうとして口をもごもご動かしています。
その口元の動きから察して、私が「おはようございます」と言うと、老婆は、そうだった、そうだった、という表情をして喜んで繰り返します。
さらに、「こんばんわ」も同じように繰り返します。
そして、老婆は再び何かを一生懸命、思い出すようにつぶやいています。私もその口元をじっと見つめます。
すると、この老婆は何かを口ずさんでいるようなのです。
老婆は記憶を手繰り、何かの歌を思い出そうとしているのです。
それを見ていた私は、はっと思い付きました。これは、もしかして・・・。 ( ゚ ▽ ゚ ;)
そして、私は歌い出しました。(乗客が老婆しか居なかったので。でも、他に客が居ても多分、歌っていた。旅の恥はかき捨て~。運転手は変な奴と思った事だろう)
♫見よ 東海の空明けて~
旭日高く 輝けば~
天地の正気(せいき) はつらつと~
希望は 躍る 大八洲(おおやしま)~
お~お~ 晴朗の朝雲に~
そびゆる富士の姿こそ~♬
そうです。戦時歌謡の愛国行進曲です。(と言っても、ほとんどの人が知らないだろうけど)
もし、この歌を平成の日本の児童公園で歌っていたら、近くにいるお母さんは、あわてて子供の腕を引っ張り、「雅彦ちゃん!こっちへ来なさい!目を合わせちゃ、ダメ!」と言う事でしょう。
ちなみに、この歌を旅行中に歌うのは2回目です。
去年の春、ランカウイ島のパンタイ・チェナンビーチを散歩していると、中国人や韓国人が闊歩するその頭上に、翩翻とひるがえる大旭日旗を認め、思わず感激の余り、この歌を口ずさみながら近くに行って見上げたものです。(2014年3月15日、「見よ!ランカウイのビーチに燦然と輝く大旭日旗を!」を時間があれば見てね)
♡その時の写真。
話を元に戻します。
私が、愛国行進曲を歌い出しますと、老婆の顔がぱっと明るくなり、目も潤んでいるように見えます。私に合わせて、歌おうとするのですがしっかりとした日本語になりません。それでも、懸命に一緒に歌おうとします。
残念ながら、私は一番しか歌えませんので、もう一度、元に戻って一番を歌いました。老婆も今度は手拍子をしながら聞いてくれます。
運転手はバックミラー越しに見ながら、何だ、こいつ等、という風な顔をしています。
そして、ちょうど一番を2回、歌ったところでバスターミナルに到着です。
老婆は、私がぼられないようにでしょうか、(乗合バンの運賃が)4千ルピア、4千ルピアと言って教えてくれました。
私は老婆と別れの握手をして、車から下りました。
老婆は、その皺深い顔をまるで童女のようにほころばせ、たどたどしく「サヨナラ、サヨナラ」と繰り返していました。
そして、乗合バンは夕暮れの中を老婆を乗せて走り去って行きました。
私は、その後、バスが来るまで時間があったので(メダンからやって来るらしい)、ベンチに座って先ほどの事を取り留めも無く考えます。
まず、どうして老婆が、私が韓国人でもなければ中国人でもなく、日本人だと分かったのでしょう。歌の事と併せ、どこで日本人と関わりがあったのでしょうか。
老婆がこの愛国行進曲を太平洋戦争後、知ったという事はまず考えられないので戦時中、習ったのでしょう。
では、日本の兵隊さんに教えてもらったのでしょうか?
しかし、山の中の特に重要でもないこんな所に日本兵が駐屯していたのでしょうか。同じスマトラ島でも、戦略的に重要な産油拠点のパレンパンは、もっと南でかなり離れています。
老婆が海岸沿いの日本兵が居た所でこの歌を習い、その後、ここへやって来たのでしょうか。しかし、これは少し無理があるように思われます。
おそらく、日本軍がインドネシアの旧宗主国、オランダを追っ払った後、日本が国策でこの地にも学校を作り、そこで、老婆はこの歌を覚えたのではないでしょうか。
では、どんな先生が、この老婆に歌を教えたのでしょう。私の想像はふくらみます。
現代の先生とは真逆の謹厳実直、威厳のあるやや年配の男先生でしょうか。いや、映画「二十四の瞳」に出て来る大石先生のような学校を出たての若く優しい女先生ではないかと愚考致します。
粗末な校舎内に置かれたオルガンの周りをインドネシアの子供達が囲み、女先生が引くオルガンの曲に合わせてこの歌を目を輝かせて歌っている様子が目に浮かぶようです。もちろん、この子供達の中に、今日、出会った老婆の幼き姿もあります。(完全に空想の世界に浸っている私)
しかし、これはあながち私の妄想とも言い切れません。以前、ユーチューブでこういう当時の映像を見た事がありますので。
皇民化教育である、日本の思い上がりである、けしからん!と眉をひそめる方々も居ますでしょうが、軍歌斉唱?のみならず、読み・書き・計算もしっかり教えた事でしょう。
それに比し、果たして、旧宗主国のオランダがどれだけ力を入れて、現地の人達に教育を施したでしょうか。ある本によるとオランダは、茶、コーヒーなどの産物の生産には力を入れても、現地住民の教育には見向きもしなかった、と書いてありました。
私は決して右翼でもありませんし、好戦的な考えもありませんが、しかし、これだけは言えます。老婆が私の歌を聞いて、顔を輝かせて懐かしんでいた事を。
私は思い描きます。
老婆が山の中の家に帰り、孫やひ孫に、今日、帰りの車の中でヘンテコな日本人に会って、昔、お婆さんが日本人の女先生に習って歌っていた歌を聞かせてくれた、と語っている姿を。
o(^▽^)o
さらに、付け加えるなら現代の日本人で「愛国行進曲」をアカペラで歌える人が果たしてどれだけいるでしょうか?(自慢にはならないけど。お恥ずかしい)
老婆の思い出を蘇らせてあげた事に(過ぎし日の楽しかった思い出と信じたい)、些かなりとも役立った事、私にとり、欣快の至りであります。(注 私は決して戦前・戦中派、さらには団塊の世代でも御座いません)
(^_^)v
その後について ♡バスターミナル(と言っても、人もほとんど居ず、さびれてい
る)の一角にあるバス会社のオフィス。
船着き場近くの旅行代理店でチケットを買わず、頑張って
ここまで来て買えば手数料を節約できる。 ♡途中の休息時に。バスはメルセデスベンツ製でトイレ付き。 ただし、座席は改造しているらしく、非常に狭い。
♡バスの車内。これでもかというほど、冷房を効かせる。乗客
も耐寒装備ではないか!
高度の高い所を行くので、冷房は必要ないと思うのだが。
おまけに、誰も見ていないのに夜遅くまで大きな音でビデ
オ上映。
私は一晩中、ほとんど眠れず、思わずこの歌を口ずさんだ。(本日、2曲目の軍歌独唱である)
♫う~み~ ゆ~かば~ 水漬く か~ばね~
や~ま~ ゆ~かば~ 草むす か~ばね~♬
追記
この拙文を書いた後、日本に帰ってからしばらくして、亀井宏という方が書かれた「ガダルカナル戦記」という本の第二巻に、戦後、筆者が中森正一さんという数少ない生存者にインタビューした文が載っていました。その中に、
「各中隊は、百七十キロほど離れたドバコ湖畔パラバットに、駐屯することになった。この湖のほとりはオランダ人の別荘地帯で、美しい住宅が立ち並んでいる。海抜九百メートルの高原にあるという珍しい湖で、水深は二、三百メートルもあるということだった。」以下略。
どうも、この文からすると、この老婆は日本の兵隊さんに歌を習った可能性も高いようです。
現在の地名の日本語表記は、トバ胡パラパットですが、上記の証言はスマトラ島に駐留中の事なので、ここで間違いないでしょう。
ジャワ攻略戦を終え、再編成も兼ねて気候の良いこの地に移駐して来たのでしょうか。
私は、七十数年前、ここは未開の地だったのだろう、と勝手に思っていたのですが、その当時から宗主国のオランダ人達の別荘地だったんですね。
それはそうと、どうも、美人女先生に歌を習ったというのは、私の妄想・空想のなせる事だったのでしょうか。
なお、中森さんの所属する第38師団(名古屋地区出身者で編成)は、この地に約3か月ほどいた後、ガダルカナル島に転進。ここでほぼ壊滅してしまいます。
幼き日の老婆に歌を教えた兵隊さんは、故郷の妹を、あるいは我が子の姿を重ね合わせていたのかも知れません。
戦場では、武器・弾薬無く、その上、食料が尽きても、なお戦闘意欲を失わない鬼神も避ける日本兵(日本軍では降伏は許されていない)も、ここトバ湖での短い駐屯中、家郷に思いを馳せる事が出来たことでしょう。
それにしても、わずかな間に教えてもらった歌を、おぼろげながらも覚えているということは、老婆にとっても忘れ難い出来事だったのでしょう。私なんぞ、三日前に会った人の名前も顔も忘れると言うのに。
なお、蛇足ではありますが、老婆が兵隊さんに歌を習った可能性が高い事に鑑み、前文での老婆が家に帰って家族に話す「ヘンテコな日本人に~」の部分を、「戦時中の日本の兵隊さんとは、似ても似つかぬ、ふやけた日本人に~」に訂正致します。
(*v.v)。
現在、安保法案を巡り、与野党の攻防が続いていますが日本の進路を誤らぬよう願うばかりです。
祈 世界恒久平和
2015年9月18日(金)
2015年6月24日(水) スマトラ島 ブキティンギ
〇今日のFX
・+4,500円 ドル・円 買い3万 123.76円~123.91円
・+2,700円 ドル・円 買い3万 123.82円~123.91円
・+1,000円 ドル・円 買い3万 123.85円~123.95円
計+8,200円 通算 54日目 +182,764円
〇今日の会計
・トイレットペーパー、洗剤・・・・・・・・・・・106円
・夕食(ガドガド、ビール大)・・・・・・・・・・576円
・チキン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・115円
計-797円 通算 72日目 -265,430円
総計 72日目 -83,463円
2015年6月25日(木) スマトラ島 ブキティンギ
〇今日のFX
・+13,455円 ドル・円 売り3万 124.30円~123.85円
・+2,100円 ドル・円 買い3万 123.65円~123.72円
・-300円
・+4,500円 ドル・円 買い3万 123.45円~123.60円
・+2,100円 ドル・円 売り3万 123.67円~123.60円
・+1,800円 ドル・円 売り3万 123.68円~123.62円
計+23,655円 55日目 +206,419円
〇今日の会計
・パン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・58円
・マンゴー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・192円
・ジュース・・・・・・・・・・・・・・・・・・・46円
・夕食・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・336円
・果物・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・19円
計-605円 通算 73日目 -266,832円
総計 73日目 -60,413円
2015年6月26日(金) スマトラ島 ブキティンギ
〇今日のFX
・+1,500円 ドル・円 売り3万 123.42円~123.37円
・-6,000円 ドル・円 売り3万 123.45円~123.65円
計-4,500円 通算 56日目 +201,919円
〇今日の会計
・昼食・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・336円
・宿代(ハローゲストハウス5日分)・・5,760円
・夕食・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・370円
計-6,096円 通算 74日目 -272,928円
総計 74日目 -71,009円