2019年10月15日(火)~ チャナッカレ~イスタンブール

 

 おぉ~、目の前にあのブルーモスクが聳え立っています。さらに後ろを振り向けば、ビザンツ美術の最高傑作と評されるアヤソフィアも負けじと、その威容を誇っています。そして、その向こうにはオスマン帝国のスルタン達が目も眩むような金銀財宝と共に国中の美女をかき集めて住まわせたトプカプ宮殿も控えています。ここはトルコ、イスタンブール、旅の始発地であり、そして最終目的地です。

 

♡スルタンアフメット・ジャーミー、別名ブルーモスク。イスタンブールの象徴でもある。工事中の尖塔が一つあるのが残念。

 

♡アヤソフィア。ギリシャ正教の大本山として建設されたが1453年にコンスタンティノープルが陥落するとイスラーム寺院に改築された。

 

 まずは予約してある宿を探さねばなりません。(私のスマートフォンはWIFIがないと使えない状態)

 

 確か、ここから遠くないはずだが、と見当を付けた方向に歩き出しますと、向かいから男がやって来ましたので聞いてみます。

 

 すると、男はにこやかに「こっちね」、とたどたどしい日本語で案内してくれ、それに恐縮しながら付いて行く私。

 

 男は私を連れて、どんどん、進みます。私が思わず「こっちかな~」と漏らしますと、この男は振り返り「わたしのいとこ、とてもくわしい、あなた、心配ない」と言って来ます。

 

 私はこの一言で全てを察し、踵を返して元来た方へ足早に向かいます。

 

 男は私の背に、「あなた、わたし、トモダチ、グッドフレンド」と呼び掛けますが、もちろん、私は(バ~カ、いつお前と友達になった)と一顧だにせず、その場を立ち去ります。

 

 あの男は私を絨毯屋に連れて行って法外な値段の絨毯を買わせるか、旅行会社でバカ高いツアーにでも参加させるつもりだったのでしょう。(推定)

 

 これまでジョージア、トルコと周って来ましたが、悪意を持って私に接して来た人物は、旅の終盤のこの時が最初で最後となりました。(たぶん)

 

 ここは世界有数の観光地、イスタンブール。旅行者という蜜に群がる小悪党も多い事でしょうから気を引き締めなければ、と自戒したことです。

 

 結局、私の探していた宿はブルーモスクからボスポラス海峡側に坂を下って10分ほどの場所にありました。

 

♡メトロポリスホステル。シングルルーム一泊3,705円。朝食付き。清潔で立地抜群。ただし、この宿の周辺は食事代等、全て旅行者価格で高価。ドミトリーもあったので2泊目はそちらに移ったが(それでも1,615円)、同室者にいびき男が居て寝られず、結局、また同じ部屋に舞い戻った。

 

 

 話はチャナッカレを出てイスタンブールに向かう時点に戻りますが、この朝、宿近くのバス会社オフィスに行きますと、係員が通りを挟んだ向かいのフェリーターミナルまで連れて行ってくれて、これに乗るように、と教えてくれました。

 

♡イスタンブール行きのバスを乗せたフェリー。

 

♡ダーダネルス海峡海峡。向う側はヨーロッパ。

 

 そして、フェリーが対岸に着きますとバスは一路、イスタンブールに向けて走り出します。

 

 それから約6時間後、窓から高層ビル群が見え出しました。ここら辺はイスタンブールの新市街でしょうか、さすがに大都会です。

 

 そして、さらにしばらく走ってからオトガル(バスステーション)に到着です。私は近くにあるはずの都下鉄駅を探し歩き、ようやく見付けましたので入り口脇のファーストフード店に入り、腹を満たします。

 

 すると、店員が私に話し掛けて来ました。どこから来た、と聞くので、「日本から」と答えますと、「おー、トヨタ、ホンダ、ワンダフル!」と言って顔を輝かします。

 

 その後、互いに拙い英語で二言、三言話した後、店員が自分から「僕はシリヤからやって来たんだ」と言います。

 

 私は、この店員はトルコ人だとすっかり思い込んでいたので、シリヤと言う国名が出たのは意外でした。

 

 そう言えば、私が日本人だと知ると、この店員の表情に強い憧れのようなものを感じたのですが・・・。この時、私は知らず知らずの内に誇らしげな、あるいは優越感を持った顔をしていたのではないか、と思います。(別に私が偉いワケではないのに)

 

 ところが、この店員がシリヤから来た、と聞いて、私はどういう顔をしたらいいのか、戸惑ってしまいました。まさか、「お~、それはそれは」と言うワケにもいかず、つい、日本人的曖昧さ丸出しの笑みを浮かべるのみでした。

 

 シリアはイスラム国の台頭などにより、長らく内戦状態でしたが、さらに今年の10月9日、突如としてトルコ軍がシリアの反体制派を支援するために国境を超え、侵攻を開始しました。私が、パムッカレで綿のお城じゃ~、と驚嘆していた時です。

 

 その後、テレビではいつもトルコ軍の戦闘状況を伝える大本営発表ニュースが流れていましたが、トルコ国内は緊張感も無く、至って平穏な日常でした。(一介の旅行者から見てだけど)

 

 しかし、現実には、トルコにシリヤから約370万人もの難民が流入して来ていると聞きます。(累計)

 

 さらにはトルコ軍介入後、シリア政府軍とそれを支援するロシア軍との戦闘で住居を破壊され、故郷を追われて逃げ惑う人達は約90万人に上り、その多くが雪の舞う極寒の地で行き場を失っているそうです。(2020年2月20日現在)

 

 

 私には、この店員の置かれた境遇は詳しく分かりませんが何の変哲も無いファーストフード店で、突如として出会った思いもかけない現実に戸惑わされた出来事でした。

 

 この後、私は地下鉄でアクサライ駅まで行き、今度はトラムブァイ(路面電車)に乗ろうとしましたが、駅同士が連結していないので、どちらに行ったらいいのか分からず、大学生風の二人連れに聞きますと、笑みを浮かべて付いて来な、とばかりに先に立って案内してくれます。

 

 そして、少し離れた乗り場まで連れて行ってくれると、ここで乗るから、と言って一緒に待ってくれます。やや経って、電車が来ますと、私を乗る様に促し、自分達も乗って来ますので、ああ、この二人も同じ方向に行くのかな、と平和な国、日本から来た私は思います。

 

 そして、電車がスルタンアフメットに着きますと、ここだから、と教えてくれ、自分達は電車に乗って風のごとく去って行き、その後、冒頭の場面となったのです。

 

 真に善人も悪党も玉石混淆、当たるも八卦、当たらぬも八卦、その時の運が世の常なのでしょうか。

 

 翌日、さっそくイスタンブール市内巡りです。

 

 

♡ブルーモスク前。多くの観光客が。内部には靴を脱いで入る。

 

♡アヤソフィア内部。

 

♡スルタンアフメット広場を巡邏していた騎馬警官。観光客がカメラを向けるとこうやって並び、ポーズを取ってくれたり、一緒に写真を撮らせてくれる。とてもシリアで戦闘状態にあるとは思えん。

 

♡地下宮殿内部。地下の貯水池として4世紀から6世紀にかけて造られたもの。コリント様式の柱336本で支えられている。

 

♡柱の基部となっている逆さまになった、頭髪が蛇で知られたメドゥーサの首。水溜まりには投げ入れられたコインが。

 

 私はさらに近くのイスタンブール考古学博物館に向かいます。

 

♡アレクサンダー大王の石棺。ただし、アレクサンダーと名が付いているのは彫刻ゆえで、アレクサンダー大王の亡骸がこの中に葬られたからでは無い。

 

♡ムカデシュの条約が書かれた石板。ヒッタイト王国とエジプトの間で結ばれた世界初の国家同士の平和条約。

 

 次にトプカプ宮殿へ行き、宝物館にも入場してみます。

 

♡オスマン帝国戦士の鎖帷子状の戦闘服。どこからかトルコ行進曲が聞こえて来そう。

 

♡スルタンに徳川幕府から贈られた日本刀。

 

宝石が散りばめられたオルゴール。

 

♡スプーン屋のダイヤモンド。世界有数の86カラットのダイヤを49個のダイヤで囲んでいる。この名前の由来は、漁師がダイヤの原石を拾い、市場で3本のスプーンと交換したからこの名が付いたそうな。

 

 私はさらに歩いてグランドバザールに向かいます。

 

♡中東最大級の屋根付き市場。観光名所と化しており、歩いていると「社長、安いよ、安いよ」と日本語で声が掛かって来る。

 

 私は今度は路面電車で金角湾に架かるガラタ橋に向かいます。怒涛の観光地巡りです。

 

♡ガラタ橋。向う岸の塔はガラタ塔。この近辺では、橋の上や岩壁から多くの人が魚を釣っていた。イスタンブール随一の好ポイント?でも、見ていても時折、イワシのような小魚がポツポツ釣れるくらい。日本のサビキ仕掛けを持って来たらたくさん魚が連れて注目を集めそう。

 

♡ガラタ橋近くで名物のサバサンドを食わせる屋台舟。

 

♡サバサンド。これとザクロジュースで342円。私は、名物だけあってさすがボスポラス海峡産のサバ、油が乗って美味いのう~、日本の関サバに負けぬ味じゃわい、と感嘆の声を上げたが、実はここで使われているサバは100%、ノルウェー産の冷凍サバだとか。

 

 さらに、私はすぐ近くで発着しているボスポラス海峡クルーズ船に乗ります。(2時間、475円)

 

 

♡向こう岸はアジア。

 

♡海峡に浮かぶ乙女の塔。

 

 乙女の塔には、こんな言い伝えがあるそうです。

 

 昔々、王様に占い師が「貴方の愛娘は18歳の誕生日に毒蛇に噛まれて死にます」と告げたそうです。王様は慌てて娘をこの塔に閉じ込めました。そして、娘の18歳の誕生日。王様は籠一杯の果物を手に塔に出掛け、娘に手渡しました。ところが籠の中に毒蛇が潜んでいて、娘は予言通り、毒蛇に噛まれて死んでしまったそうです。

 

 そんな悲しい言い伝えがある乙女の塔ですが、旅行後、テレビを見ていると「世界の果てまでイッテQ」の中で、イモトが船に乗ってこの塔に近づくとサプライズで出川哲朗が塔の上から手を振ってイモトを驚かす、と言うシーンがあったのでした。

 

 こうして私は翌日、イスタンブール空港へ宿で頼んだシェアタクシーで向かい、シンガポール経由で日本への帰国の途に就いたのでした。

 

♡帰りの飛行機から。

 

 私は機内から、果てしなく続く褐色の大地を眺めながら、今回の旅行を取り留めも無く、思い返します。

 

 それは、今思えば天候に恵まれ、雲一つない気持ちの良い日が連日、続いた印象です。(実際には、ほんの数日、天気が崩れたが)

 

 さらに、旅行中、出会った人達の事も思い出されます。カズベキからの帰りに車中で親し気に話し掛けて来て終点まで話が弾んだジョージアの女性。トラブゾンの若き頃のアンジーそっくりの店員さん。アドゥヤマンで博物館等を親切に案内してくれた小学校の女先生等々・・・。どの出会いも今となっては懐かしい思い出ばかりです。

 

 そして、ふと夜のとばりが降り始めた地上に目を凝らしますと、一面の褐色の山岳地帯が広がる中、谷合いにポツンと薄明かりを点け、炊煙を薄く地にたなびかせた一軒家が小さく見えました。ここは、イランでしょうか、それともアフガニスタン上空でしょうか。

 

 あの家にどういう人達が住み、どういう日々の営みをしているのでしょう。

 

 世界にはまだまだ自分が知らない場所で人々が暮らしています。いつの日か訪れる機会が来ることを機上で思い願う私でした。

 

♫ エンジンの音 轟々と~ LCCは征く~ 雲の果て~ ♪

※今回はシンガポール航空だったけど。