トルコ カルス  2024年8月

 

 

    カルスの空港に到着です(現地ではカースと発音)。
 
   タラップを下りると清涼な空気がここは高原地帯である事を感じさせますがイスタンブールの空港の職員が脅かした寒い、というほどではありません。空港の周辺を見回すと広大な丘陵地が広がっているいるばかりです。荷物を受け取って小さなターミナルの外に出ますと何台かマルシュルートカ(小型乗合バス)が停まっていましたが車の前面の行先表示は全てトルコ語表示です。

 

♡マルシュルートカ。ベンツ製。

 

 そこで、そのうちの一台の運転手に「カルス、ダウンタウン?」と問うと、どの車かすぐに教えてくれました。
 
   車に乗るとすぐに出発です。しばらく走るとやがて市街地に入ります。ここカルスはこの地方の中核都市で県庁所在地でもあり人口は7万人だそうです。

 

♡高台から見たカルスの街並み。

 

 街の辻々で乗客を降ろして行きますので私も運転手に、記憶にあったビジュウムという市街中心部の比較的料金の安い宿の名前を告げます(カルスには安宿は少ないらしい)。すると運転手がすぐに車を停め、着いたぜ、と言いますのでその指さす方を見ますと確かに建物の壁面に名前がありましたので料金40トルコリラ(210円)を運転手に渡します。
 
   余談ですが、やはり物価は私が以前来た2019年当時のトルコと比べ、かなり上昇しています。この間にコロナのパンデミックがあり、さらに加えてウクライナ戦争です。世界的な物価上昇に円安の追い打ちです。これから行くトルコの隣国、ジョージアなどはかってその物価の安さから、バックパッカーの聖地と持てはやされ日本人パッカーも多く集結していましたが。さらにとどめを刺したのが、プーチンによる徴兵を逃れるために大勢のロシア人がジョージアに押し寄せ、宿代初め物価全てが爆上がりしたそうな。この時は20万人の徴兵の代償に百万人ものロシア人が国外に逃れたとか。もちろん、このロシア人たちは国に未だに戻る事は出来ていません。ひょっとしたらこの事が今回の私の旅行に何かしらの影響を与えるのでしょうか。心配です。
 
   私はさっそくビジュウムホテルの入口を探しますがそれらしいものが見当たりません。同名のロカンタ(トルコ版大衆食堂)はあるのですが。さらにこの近くにあるはずの系列店のビジュウム2ホテル(カルス最安値らしい)を探してみますがこれもありません。
 
   私は昨日の朝早くに家を出てからすでに三十数時間、体を休めていませんので早く横になりたいと近くのホテルを探し、ipekyolu2という所に決めました。一泊500トルコリラ、朝食付きで約2、610円です。

 

♡ipekyolu2。もっと良く探せばもう少し安い所があったかも。この地方名産のハチミツが朝食に出たが、日本の砂糖入りハチミツと違いその濃厚さに感激した。お土産には重すぎたので諦めましたが。

 

 早くも予算オーバーです。出来れば宿代は千円代にしたかったのですが。
 
   案内された部屋は窓のない、いわゆる穴蔵部屋です。私はこういう部屋は苦手ですが一刻も早く休みたかったので厭も応もなくこの部屋に決めました。つぎの日には部屋を替えてもらいましたが、今度は日当たりも良く眺めも開けていましたが水まわりに問題があり、ホースの付いたシャワーヘッドと蛇口の切り替えが噛みついたように動かなくなり、いっぺんは従業員に来てもらいペンチで直しもらったのですが、その後、恐る恐る押し込んで見ますと、また梃子でも動かぬようになり、結局、面倒でそのまま蛇口シャワーで通しました。あれが良くなればこれが悪くなるトルコのホテルです。

 

♡見晴らしも良く窓からは遠くにカルス城も見える。

 

♡翌日、見学したカルス城。1153年造営。幾たびもの戦乱に見舞われたがそのたびに耐え抜いた難攻不落の名城。

 

♡チャイ、一杯10トルコリラ(52円)。何処でも必ずこのガラスの入れ物で出て来る。チャイ屋台もたくさんあって路上の椅子に座りながら親父さん達がおしゃべりに興じている。日本人の私が通り掛かると格好の暇つぶしになるので、まあ、ここへ来い、などとよく誘われた。ちなみにトルコでは物価からみてコーヒーは割高感がある。

 

 さらにトルコはイスラムの国ですが国父アタチュルク(トルコ中、どこにも銅像がある)によって政教分離が押しすすめられ、街中ではヘソ出しルック姿の娘達が闊歩しています。私が歩いているとこちらに明らかに視線を送ってくるので私も、ふ、俺の男の色香にトルコ娘もイチコロだぜ、と思っていたのですが、何の事は無い、ただ単に東洋人が珍しかっただけの事で(さすがに中国人もここでは見かけなかった)、動物園の珍獣状態だっただけでした。それはそうです。ほとんどがヒゲ面の濃いトルコ男の中にやんごとなき顔立ちの平安貴族然としたまろが歩けば目立ちもするでごじゃる、珍奇な目にさらされるでごじゃる(嘘では無く、不敬にも今上天皇のお若い頃にそっくりだと言われていた)。

 

 こうしてトルコ1日目が過ぎて行くのでした。

 

続く。