蝶野さんのnWo合流のきっかけは新聞の記事飛ばし!?
前回、ホーガンたちはnWoに入れるメンバーをかなり選別していたと書いたけど、俺が加入した経緯は、東スポに「蝶野がnWoと組むという記事飛ばしをしよう」と持ち掛けたのが始まり。ホーガンとのツーショット写真を撮って、既成事実を作ってしまおうと。実際に、その年の年末の東スポの紙面に「蝶野nWoと合体!」というような記事が出た。
そうなると、記事を飛ばした以上はアメリカでやらなきゃいけないだろうと。その場で考えて、全部あと付けなんだよね(笑)。ホーガンたちも日本のビジネスのことはわかっていたから新聞の記事飛ばしに協力してくれたけど、そもそもアメリカでのビジネスが最優先で、日本の構想は考えていなかった。まず自分たちの牙城、WCW内での競争にいかに勝ち抜くか、生き残るかという考えかた。そこに新日本プロレスの俺が加わったところで、何かプラスになるかといえばプラスにはならない。実はそういうレベルの話だった。
年が明けて1月、新日本との契約更改時。当時の新日本は他団体との交流が盛んで、高田さんのUWFインター、天龍さんのWARなどいろいろな交流戦があって、巡業の中心の軸になっていた。俺はそのラインから外れていたから「アメリカのWCWの方にいっても大丈夫ですか?」と相談したら、会社はOKだと。正直、あまり必要とされてないなと感じたね。それと、テレビ朝日と新日本の契約を続けたままWCWとやり取りをするとなると、その契約がネックになるケースがあるので「俺をフリーにしてください」と頼んだんだ。
結局、その時はWCWとも新日本とも契約を交わさず、2年間フリーで活動した。口約束で書面も交わさずにね。書面を交わすと株主のテレビ朝日とこじれるケースも考えられたし、似たような形で離脱した選手もいたけど、新日本にも見返りを用意するからと。そこは俺を信用してくれと、取締役の人と口約束でアメリカに行かせてもらった。それですぐマルティーナとアトランタで住む場所を準備して、そのまま向こうのシリーズに入っていったんだ。
WCWで1シリーズ出場したら、今度は東スポだけでなく、週刊誌にもどんどん情報があがるようになった。ただ、当時の週プロの編集長はアメプロに興味がなかったから、現地を観てほしくて「一緒にアメリカに行こうよ」と誘って、1週間ぐらい現地で取材をしてもらった。すると彼もアメリカのビジネスの大きさに驚いて、表紙に起用してくれるだけでなく、大きくページを割いて俺のインタビュー記事も作ってくれたんだよね。そこから日本のファンにnWoが一気に広がって、新日本に「nWoを見たい!」「蝶野は帰ってこないのか?」というか問い合わせが殺到したらしく、渡米して1カ月もたっていないのに会社から2月末ぐらいのシリーズに帰ってきてくれないかと言われて。
「いやいや(笑)、俺は今からこっちで1からスタートするから行ったり来たりはできない」と言ったけど、「どうしても帰ってきてくれ」と頼まれて、仕方なく後楽園ホールに凱旋すると、そこからさらに火がついてnWoがさらに広がっていった。実質1カ月ぐらいでムーブメントが始まったわけだけど、要はマスコミの使い方だね。
もともと俺は新聞と雑誌、TVの使い方は分けていたけどアメリカはそれがない。記事の飛ばしかたも日本とは違う。基本的に会社は選手の言うことなんか聞かないけど、東スポのようなネタ飛ばしをしたら、上層部の人間がその記事を面白いと思えばやってみようかと。そんな感じだった。
だから、どれだけ面白いことを企画して、いかに伝えるかが大事。既成事実として俺がいく!というのが一番早い。会社に「すみません、あそことコラボでやってみたいんですけど…」と言っても、「こいつより橋本の方がいいんじゃないか?」と自分の企画をパクられることもある。だからこそ上手に自分で行動を起こさないと。ムーブメントになったnWoも始まりは狼軍団の黒で、それをパクって黒にしただけだからね(笑)。nWoを振り返るとこんな感じかな。
※アリストトリストで販売されているnWoグッズ
現在nWoの版権を持つWWEとアリストトリストではライセンス契約を結び、アリストトリストとWWEのロゴが入る『ダブルライセンス』として販売中です。
そうなると、記事を飛ばした以上はアメリカでやらなきゃいけないだろうと。その場で考えて、全部あと付けなんだよね(笑)。ホーガンたちも日本のビジネスのことはわかっていたから新聞の記事飛ばしに協力してくれたけど、そもそもアメリカでのビジネスが最優先で、日本の構想は考えていなかった。まず自分たちの牙城、WCW内での競争にいかに勝ち抜くか、生き残るかという考えかた。そこに新日本プロレスの俺が加わったところで、何かプラスになるかといえばプラスにはならない。実はそういうレベルの話だった。
年が明けて1月、新日本との契約更改時。当時の新日本は他団体との交流が盛んで、高田さんのUWFインター、天龍さんのWARなどいろいろな交流戦があって、巡業の中心の軸になっていた。俺はそのラインから外れていたから「アメリカのWCWの方にいっても大丈夫ですか?」と相談したら、会社はOKだと。正直、あまり必要とされてないなと感じたね。それと、テレビ朝日と新日本の契約を続けたままWCWとやり取りをするとなると、その契約がネックになるケースがあるので「俺をフリーにしてください」と頼んだんだ。
結局、その時はWCWとも新日本とも契約を交わさず、2年間フリーで活動した。口約束で書面も交わさずにね。書面を交わすと株主のテレビ朝日とこじれるケースも考えられたし、似たような形で離脱した選手もいたけど、新日本にも見返りを用意するからと。そこは俺を信用してくれと、取締役の人と口約束でアメリカに行かせてもらった。それですぐマルティーナとアトランタで住む場所を準備して、そのまま向こうのシリーズに入っていったんだ。
WCWで1シリーズ出場したら、今度は東スポだけでなく、週刊誌にもどんどん情報があがるようになった。ただ、当時の週プロの編集長はアメプロに興味がなかったから、現地を観てほしくて「一緒にアメリカに行こうよ」と誘って、1週間ぐらい現地で取材をしてもらった。すると彼もアメリカのビジネスの大きさに驚いて、表紙に起用してくれるだけでなく、大きくページを割いて俺のインタビュー記事も作ってくれたんだよね。そこから日本のファンにnWoが一気に広がって、新日本に「nWoを見たい!」「蝶野は帰ってこないのか?」というか問い合わせが殺到したらしく、渡米して1カ月もたっていないのに会社から2月末ぐらいのシリーズに帰ってきてくれないかと言われて。
「いやいや(笑)、俺は今からこっちで1からスタートするから行ったり来たりはできない」と言ったけど、「どうしても帰ってきてくれ」と頼まれて、仕方なく後楽園ホールに凱旋すると、そこからさらに火がついてnWoがさらに広がっていった。実質1カ月ぐらいでムーブメントが始まったわけだけど、要はマスコミの使い方だね。
もともと俺は新聞と雑誌、TVの使い方は分けていたけどアメリカはそれがない。記事の飛ばしかたも日本とは違う。基本的に会社は選手の言うことなんか聞かないけど、東スポのようなネタ飛ばしをしたら、上層部の人間がその記事を面白いと思えばやってみようかと。そんな感じだった。
だから、どれだけ面白いことを企画して、いかに伝えるかが大事。既成事実として俺がいく!というのが一番早い。会社に「すみません、あそことコラボでやってみたいんですけど…」と言っても、「こいつより橋本の方がいいんじゃないか?」と自分の企画をパクられることもある。だからこそ上手に自分で行動を起こさないと。ムーブメントになったnWoも始まりは狼軍団の黒で、それをパクって黒にしただけだからね(笑)。nWoを振り返るとこんな感じかな。
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