【THE INTERVIEW】平成を振り返る~プロレス編(1)~
平成のプロレスは"メディア戦争"の時代
今回は平成のプロレスを振りかえってみたい。平成は自分と武藤さん、橋本選手の闘魂三銃士を結成した翌年から始まった。昭和天皇が亡くなったとき、自分は海外遠征中で、元号が変わる流れは知らないんだよね。小渕官房長官が「平成」の2文字を掲げた有名な記者会見も後から知ったくらいだ。

プロレス界で平成を象徴する事象といえば「ドーム大会」になるんじゃないかな。前半の15年ぐらいは、東京ドームだけでなく、福岡、大阪、名古屋、札幌といった全国のドームを回る規模で興行をおこなっていた。新日本だけじゃなく他団体もドーム開催していたからね。

プロレス界でよく言われていたのが、景気が悪いときほどプロレス界は上がる、と。実際、バブルがはじけた後も業界的には不況をはじき返すほどの勢いがあった。景気がいい時は、身近なエンターテインメントより、海外をはじめ外に出てしまう傾向にあると言われていて、当時はまさにそんな感じだった。ただ、自分が若手のときはバブルの頃で、海外遠征から帰ってきたらバブルが弾けていたんだけどね。

平成のプロレス界では、大きな企業が新たな団体を作るというSWSの余波もあった。それと同時に日本は地上波以外に衛星やケーブルといったメディアが出てきた。プロレスというコンテンツは、多様性があって地上波、衛星、ケーブルの3社の取り合いにもなった。平成はメディア戦争の時代でもあったね。

当時、日本のプロレスメディアはテレビ、雑誌、新聞だけで、テレビが3極にわかれて競争になったけど、アメリカは80年代半ばにはメディアの在り方は変わっていた。雑誌などの紙面文化が衰退して、すでにネット文化に移行していた。アメリカで起こっていた変化が日本に波及し始めたのは2000年前後で、10年以上は遅れていたんじゃないかな。

ヨーロッパのプロレスはメディアから分離していたから衰退していって、アメリカはメディアとともに進んだから広がった。日本はその中間ぐらい。ただ、メディアはパートナーというより、少し距離を置かれていた。テレビはゴールデン帯から外されたりして。いろいろな意味でメディアとの付き合い方の過渡期というか…それが平成の前半だろうね。

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