続きは演劇トーク | 役者・パフォーマーぎつをのブログ

続きは演劇トーク

前回のエントリーの続きです。

さー、今日は中継見てるぜー。
んー、もー苦しい時の表情がTV画面にアップになると、「おおぉ、頑張れっ!頑張れっ!」って応援しちゃう。
こればかりは演劇が逆立ちしても勝てない力があると思うんだ。
(お、ちょっと強引か)

スポーツの感動に演劇はどうやって勝てるのか。
と大学時代真剣に考えたことがあって、
『北の国から』の脚本家、倉本 聰のなんかの本で読んだんだが、
倉本さんにはかねてから、「なぜ芝居はスポーツの感動を超えられないのか」という悔しい思いがあったらしく。その一つの答えは“汗の量”で。マイケルジャクソンのダンスがすごいのも流す汗の量がハンパじゃないから。だからこの芝居(なんだか忘れた)はセリフで観客の心を打つより、気持ちで打つ。つまり「スポーツの感動を超える芝居」にしたかったんだ。

ってのを読んで、ん~倉本聰が言うんだからこれは難しい世界入っちまったぞ。
でも確かに、彼が言うように「スポーツの感動を越せれば40代50代の男性が演劇に戻ってくるんじゃないか」というのは思ったんだ。

駅伝の生中継がこんなに多くの人の心をつかむのは、実際に今現在、結果がわからない状態で等身大の大学生が自分の走りをかけて戦っている姿にどうしても応援したくなる気持ちが生まれるからだと思っている。
それが例えば劇場という空間で駅伝ということをとりあげてるとどうしても「結末が決まっている」というドラマに40代50代の男性は興味を持たないのではないか。
というのが大学時代にたてた仮説だった。

即興芝居(インプロ)のショーではおそらく日本一のクオリティだと思われる東京コメディストアjを一番最初にみたときも「これひょっとして結末決まってるんじゃないの?」って疑問が楽しむ心を邪魔してた気がする。(まだ六本木isn't itでやってた時ね)

劇場という空間がもつフィクション性、というのか今から起こることはすべて作為に満ちたということの限界を感じて、ドラマだけで演劇勝負するのはちょっと俺には無理だなと今、思っている。

どんなに頑張っても共感というものには観客の人生経験に左右される部分が少なからずあるから。

じゃぁ、等身大な劇空間を求めて2012年は活動してみようと思ってます!

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ということで、今年もよろしく!