そもそもなぜ無料なのか
実は延期が決定した3月に、5月の公演が終わったらボランティア行こうかなって思ってたけど、今どうしようかすげー迷ってる。
というか借金生活していてボランティアもくそもねーだろ。かっこつけんな
って奴に言われそうだけど。
この前 紹介した本読んで自分のボランティア観が変わった。
現在進行形でボーイスカウト品川1団 にも所属しているので過去にボランティアをやった経験は何度もあるんだが
この本にある
『前略
そもそもなぜ無料なのかである。奉仕だから無料なのでは断じてない。金を取るほど役に立つかどうかわからないからというなら、本当に迷惑極まる。経済にかえがたい何かがそこにあるからボランティアではないのか。
ボランティア活動とは「だれかのために」ではなく自分のために行うのである。その活動を通して日常では知り得ない何か、思いもよらない何かをそこで教授するのである。だから無料なのだ。そして、その活動が同時に現地の「だれかのために」もなる。それがボランティア活動である。
そう考えれば、自分のためになってもだれかのためにならないのは、ただのわがままである。だれかのためになっても自分のためにならないのは、ある種の犠牲だ。自分を含めて誰のためにもならないのは無駄である。ボランティアは自分と他者、その両方の要素を満たして初めてボランティアなのではあるまいか。
常日頃、何不自由なく暮らす僕が、この時ばかりと善意と正義を振りかざしても一体何ができるのだろうかと自問自答ばかりを繰り返している。一日や二日弁当を配りよいことをしたと満足感に浸ってみても、多くの死者と悲劇を生んだ被災地で、それしかできなかった自分を振り返るだけのボランティアでしかない僕がいる気がするのだ。
見て見ぬふりなど到底できず、まして無関心を装うことなど無理な話で、気付いた時には被災地へ走っていた。そんな方も多いだろう。「何か自分にできることがあれば」。そう思う気持ちは崇敬に値する。しかし、そこには無力な自分も同居しているのである。』
という文に思いっきり引っかかった。
確かに自分のためにも相手のためにもならなきゃなって思う。
どっちかが犠牲になるならやらねー方がマシな気がする。
何度かやってきた経験振り返っても自分に返ってきたから次もやろうかって思えるし。
俺が今こうしているのも「人を楽しませたい」っていう気持ちが原点にあるから
こう なったりこう なるならごめんだ。
もはや弁当配ったりするくれーなら俺が行っても行かなくても同じだと思う。
やっぱり自分やってることで人楽しませられたら最高なんだけど、結局自己満足で終わりそうでどうしたらいいのかわかんね。
大学時代に江古田で2カ月に一度小さなお祭りがあって、そこで出店だして焼きそば売るバイトしていたんだけど
その時たまたま前を歩いていた人の足を止めて焼きそば買わせるの結構得意なんだ、俺。
テキヤなら任せろ!
焼きそばじゃなくても何かの芸で小さい子たちとやりとりすんのが楽しいよなぁ。
どなたかそういうボランティアさせてくれないだろうか。
縁日とかで声出す系ならゼッテー誘ってください。
アゴアシだけでもだしてもらえたらどこへでも行きまっせ。
とりあえず自分でできそうなこと1、2か月以内にyou tubeに載せよ。
というか借金生活していてボランティアもくそもねーだろ。かっこつけんな
って奴に言われそうだけど。
この前 紹介した本読んで自分のボランティア観が変わった。
現在進行形でボーイスカウト品川1団 にも所属しているので過去にボランティアをやった経験は何度もあるんだが
この本にある
『前略
そもそもなぜ無料なのかである。奉仕だから無料なのでは断じてない。金を取るほど役に立つかどうかわからないからというなら、本当に迷惑極まる。経済にかえがたい何かがそこにあるからボランティアではないのか。
ボランティア活動とは「だれかのために」ではなく自分のために行うのである。その活動を通して日常では知り得ない何か、思いもよらない何かをそこで教授するのである。だから無料なのだ。そして、その活動が同時に現地の「だれかのために」もなる。それがボランティア活動である。
そう考えれば、自分のためになってもだれかのためにならないのは、ただのわがままである。だれかのためになっても自分のためにならないのは、ある種の犠牲だ。自分を含めて誰のためにもならないのは無駄である。ボランティアは自分と他者、その両方の要素を満たして初めてボランティアなのではあるまいか。
常日頃、何不自由なく暮らす僕が、この時ばかりと善意と正義を振りかざしても一体何ができるのだろうかと自問自答ばかりを繰り返している。一日や二日弁当を配りよいことをしたと満足感に浸ってみても、多くの死者と悲劇を生んだ被災地で、それしかできなかった自分を振り返るだけのボランティアでしかない僕がいる気がするのだ。
見て見ぬふりなど到底できず、まして無関心を装うことなど無理な話で、気付いた時には被災地へ走っていた。そんな方も多いだろう。「何か自分にできることがあれば」。そう思う気持ちは崇敬に値する。しかし、そこには無力な自分も同居しているのである。』
という文に思いっきり引っかかった。
確かに自分のためにも相手のためにもならなきゃなって思う。
どっちかが犠牲になるならやらねー方がマシな気がする。
何度かやってきた経験振り返っても自分に返ってきたから次もやろうかって思えるし。
俺が今こうしているのも「人を楽しませたい」っていう気持ちが原点にあるから
こう なったりこう なるならごめんだ。
もはや弁当配ったりするくれーなら俺が行っても行かなくても同じだと思う。
やっぱり自分やってることで人楽しませられたら最高なんだけど、結局自己満足で終わりそうでどうしたらいいのかわかんね。
大学時代に江古田で2カ月に一度小さなお祭りがあって、そこで出店だして焼きそば売るバイトしていたんだけど
その時たまたま前を歩いていた人の足を止めて焼きそば買わせるの結構得意なんだ、俺。
テキヤなら任せろ!
焼きそばじゃなくても何かの芸で小さい子たちとやりとりすんのが楽しいよなぁ。
どなたかそういうボランティアさせてくれないだろうか。
縁日とかで声出す系ならゼッテー誘ってください。
アゴアシだけでもだしてもらえたらどこへでも行きまっせ。
とりあえず自分でできそうなこと1、2か月以内にyou tubeに載せよ。