去年の12月17日
じいちゃん家に
チョモの部屋を
作らせてもらい
月イチ2人暮らしが
はじまりました。
こんな俺に
何かできることはないかと
決断したサーキット
決めた当初は
もっと沢山の人達を
巻き込んで
盛大に開催する
予定でした。
二人で過ごす時間
沢山じいちゃんの
これまでの人生の話を
聞かせてもらいました。
あまり家族と話すのが
得意ではないチョモですが
何物にも代え難い時間でした。
「また来月ね。無理せんでね。」
そうして茨城に戻り
また自分自身の活動と
向き合う日々
そしてまた京都へ。
これ以上はもう
酷くはならないだろう
っていう安易な考えを
打ち砕かれるように
毎月想像を超えて
悪くなる症状
歩く
食べる
当たり前に
できていたことが
少しずつ
できなくなっていく
ばあちゃんの闘病を
一番側で支えた
じいちゃんだから
あんなしんどい思いは
もうこの歳でしたくない
痛みだけ抑えてもらえたら
それでいいと
抗癌剤治療も
放射線治療も
断ったじいちゃん
増える痛み止めの量
それでも
治まらない痛み
並行して
大きくなる顎にできた癌
それでも孫の前では
格好良いじいちゃんを
見せてくれようと
こっちの心配をよそに
無理ばっかりしてました
7月
医療用麻薬の服用開始
痛みはマシになったと聞いて
少しホッとしたのも束の間
顎の腫れから出血
腫れが外側だけでなく
内側へも進行し
徐々に固形物が
食べられなくなっていく
関西にいる間
サーキットの為に
色々動こうと
考えていましたが
今しかない
じいちゃんとの時間を
割いてまで
本当にすべきことなのか
っていう葛藤が
ずっとありました
8月末
突然の別れがありました
到底受け入れ難い
残された人達の悲しみを
目の当たりにし
俺も苦しくて苦しくて
仕方なかったけど
ずっとあった葛藤は
なくなって
じいちゃんとの時間を
いちばんに
これから過ごしていこうって
心が決まりました
体を動かすことが
大好きだったじいちゃん
食べることが
大好きだったじいちゃん
お風呂が
大好きだったじいちゃん
「楽しみがどんどん
なくなっていくねぇ。」
ポツリと言った
あの顔を忘れることは
ありません。
12月に入り
容態が急変
TV電話した際に
これまでずっと
弱音を吐かなかった
じいちゃんが
「えらいしんどいんや。
そろそろかねぇ。」
とこぼした。
必死に堪えて
「何言うてるん。
一緒にお正月しよな。」
と伝えて電話を
終えました。
翌日
左腕が動かず
癌性脳梗塞の疑いがあると
緊急入院
俺も予定を変更して
一昨日から
京都に戻りました
幸い軽度のものだったので
今は症状も少し落ち着きました
顎の出血が酷いため
この入院のタイミングで
血を止める治療を
試してみましょうとのことで
元々今月じいちゃん家に
帰って来るはずだった
23日退院にむけて
頑張ってくれてます
半年でお別れ
だったかも
しれないのに
まだ頑張ってくれて
ありがとう
心の準備と
覚悟の猶予を
ありがとう
俺に
こんな掛け替えない
時間をくれて
ありがとう
もう
長生きしてなんて
軽々しく言えない
それでも
もう少しだけ
じいちゃんの
笑ってる顔を
見てたいよ
「色々計画してくれたのにすまんなぁ。」
本当に
申し訳なさそうに
言ってました。
28日
会場に足を
運ぶことは
難しいかもしれない
それでも
なんとか
じいちゃんが
座るはずだった席から
じいちゃんが
見るはずだった景色を
なるべくありのままで
じいちゃんに
届けれるように
最強の音楽を
みんなの笑顔を
俺の44年間を
伝えれるように
当日まで
怪我病気をせず
みんなと
笑い合えますように
