パパの入院生活の続きを綴ります
最初にお伝えしておきますが
当時の私の心情を包み隠すことなく
ありのまま表現します
よって気分を害される方が
いらっしゃるかもしれません
そういうお方はここでUターンしてください

読んでもいいよ〜
続き気になるし〜
と言うお優しい方
どうぞ驚くことなくお読みください
ちょっと長いですが
お付き合いいただければ幸いです

ダークなチョモの登場に
ドン引きしないでくださいネ(。 >﹏<。)













2019.12.26に入院し
近所の病院に転院したのが翌年1/20
リハビリも順調で
病院の周りをランニングするまで回復
理学療法士さんもビックリの患者でした(笑)

順調に日常生活に戻るリハビリをしているパパ
それに反比例するかのように私の心は
ブラックブラックブラック…

この病院に転院してからの写真は
1枚もありません
なぜなら私の心は崩壊していたからです
全く余裕ありませんでした

遡ること12/26
倒れた日

パパがMRIを撮りに行ってる間に
義母に電話をかけた
義母はショックを受けてたが
「また状況わかったら連絡して」
で、病室に行き落ち着いた頃に
再び電話
先生に言われたことをありのまま伝えた
「ちょっとすぐには行かれへんから…
よろしく頼むね」
とのこと
まぁ兵庫からだから仕方ない
でも私が義母の立場だったら
居ても立っても居られなくて
速攻高速走って行くであろう…
(今と違ってコロナもまだの時期だった)
そんなふうに思った

義両親と義弟、甥っ子の4人がきたのは
12/28
お見舞いとカットフルーツの詰め合わせを
持ってきた
お見舞い金は世間一般の方と同じ金額…
保険入ってるんやろ?
会社に傷病者手当の申請をしたらいい
高額医療の手続きしたらいい
などお金に関することを何度も話す
そして帰って行った…


年が明けて
私はストレスで持病の潰瘍性大腸炎が悪化
下痢が続き血便が出た…
かかりつけ病院に行くと
炎症はなさそうだから
ストレスによる一過性のものだと…

先の見えない不安
病院と家の往復
正直しんどかった

トイレに行けないパパの下の世話が
本当に苦痛で仕方なかった
(お風呂にも入れないから臭いもあって…)

でも日に日に回復して行くパパの姿が
少しずつ元気を取り戻してくれた

しかし義両親の来訪にストレスは増すばかり…
1/11 その日は義両親が病院にくるとは
連絡があったんだが
私が10時に病院に行くと
すでに義両親は着いていて
パパはアメリカンドッグを食べていた
は???
「何食べとん?
えへっっと笑うパパ
義母が
「〇〇(パパ)が
アメリカンドッグと肉まんが食べたい
言ったから看護師さんに聞いたら
喉に詰めんように食べるんだったらいいって
言ってくれたから買ってきた」
というではありませんか
「病院では塩分制限のご飯なのに
そんなもの食べたらいかんやろ?」
「看護師さんがいいって言ったから大丈夫やろ」
もうブチ切れそうになった…
私があまりにもすごい顔してたみたいで
「次からチョモちゃんに聞いてからにするな」
って…
いやいや
いくら息子が食べたいって言ったって
今の状況で買ってくるか?
私だったら
「元気になったらいくらでも買ってあげるから
今は我慢しな」って言うよ…
そうじゃない?
この話を職場でしたら
みんな私と同意見でホッとした

転院して2/1にやってきた義両親
「食べ物はいかんと思ったから
靴下買ってきたで」
ユニクロの靴下3足持ってきた
「靴下やったらいいやろ?チョモちゃん」
って嫌味な言い方

そして運命の2/16
この日は消防団の御一行様が
お見舞いに来てくれた
その時に義両親も来てバッティング
よって義両親はレストランスペースへ
ランチを食べに行った
消防団の御一行様が帰られ
息子がテスト期間中だったので
私も挨拶して家に帰った
私がいない方が
義両親もパパも
のんびり話せるだろうと思って…
正直話したくない心境だったので
息子のテスト期間という現実はありがたかった

翌朝
着替えを持ってパパの病室へ‼️
パパはちょうどトイレtime
(部屋の中にトイレ付き)
着替えをしまってて
普段使ってない引き戸の隙間から
スーパー袋がちょっと出てるのに目が止まった
「ん? こんなとこ何も入れてないのに…」
と思ってopen
中に入っていたのは

てんぐジャーキーとポテチ

私が普段開けない所に隠してる

もう自分で自分が止められない


トイレから出てきたパパに

袋に入ったこの2品を投げつけた

泣きながら怒鳴った

「何よコレ‼️ 

あんたは死にたいん?

もう知らない

勝手にし〜や」

袋ごとかっぱらって

(食べたらいけないと思って)

走って病室を出た

パパはついてこれないのわかってたから…

車に乗って泣きながら家に帰った

もう怒りのままに義母に

てんぐジャーキーの写メと一緒に

「なんでこんなものを持ってくるのですか?

また倒れてほしいのですか?

私自身いっぱいいっぱいの状況で辛いのに

これ以上苦しめないでください

次倒れたら面倒みてくれるんですか?

もういい加減にしてください」とLINE


それなのに

私の怒りのLINEに対して

「チョモちゃん、ごめんなさい

もう行かないから」

これだけ…

もう退院決まってるからね💢


もう怒りは収まらず

その足で市役所に行った

「離婚届ください」

窓口のおじちゃんが

「何かあったらいつでも相談においでよ」

と優しい言葉をかけてくれた

きっとすさまじい顔をしていたのであろう…


帰って怒りに任せ離婚届を書いた

そして判子も押した

封筒に入れ

その夜

着替えを持ってパパの病室へ…

着替えの袋を椅子に置き

離婚届の入った封筒を机に叩きつけた


全く状況を理解してないパパ

「なになに?」と封筒から出して

離婚届を見て

「これはいかんやつやん

まじなやつやん…」って

そしてまたダッシュして帰った


そこから2日ほど

着替えは息子が届けてくれた

私は行かなかった(駐車場で息子待ち)

昼間もボ〜っとしてた

もういっぱいいっぱいでどうにでもなれ…

くらいの感じだった


3日ほどたった日

ピンポンが鳴ったので

モニターを見ると

パパの姿が…

は???

玄関を開けるとパパが立ってた

「何しとん?」

「全然来てくれんし、心配で歩いて帰ってきた」

と言うではありませんか

病院から家まで4キロほどの距離

それを歩いて帰ってきたと…

「何考えとん?信じれんわ」

速攻病院まで送ってった

ちょっと気持ちが軽くなれた

でもまだ元通りにはならず…


2/27に退院が決まり

退院に向けての話が始まった

看護師さん、栄養士さん、理学療法士さんが

気をつけることなどを話してくれた

お気に入りの看護師さんが

「よく頑張ったね〜でも気をつけてね」

と声をかけてくれて涙腺が崩壊した

今までの経緯をじっくり聞いてくれた

「うんうん」って何度もうなづいてくれた

そしてパパに言った

「入院中に離婚する方も多いですよ

冗談抜きでこうケースは多いんです

これからも食生活に気をつけて

元気に過ごしてください」と喝


日に日に私の心やさぐれもなくなっていき

2/27倒れて2ヶ月と1日後に無事退院♡

自宅療養して3/8から職場復帰


退院後初の診察日担当医が

「本当によく頑張ったね

ここまで回復できるとは思ってなかった

最初は厳しい現実を突きつけて

不安にさせてしまってごめんね」

と言ってくれた


先生は最悪の状況のことを伝えるもの

だから最悪の状況を想定して

落ちるとこまで落ちた…

パパにはバレてはいけないと思って

パパの前では泣かなかった


パパには「大丈夫‼️ 元に戻れるから」って

軽く伝えてた

(生きる希望を失うと思ったから…)

退院する数日前に倒れた日に

先生が説明してくれたことを話した

「俺、そんな状態だったんや…

だからあんなに必死で怒ってたんや…

そんなことも知らずごめん」

って謝ってくれた


結局叩きつけた離婚届に

パパは署名することはなく

しばらく引き出しに入れてたが

見るのも嫌だったので

「コレもう捨てるね

一応書いて置いとく?(笑)」

「ごめんなさい

もう捨ててください」

破ってゴミ箱行きになりました


たったの2ヶ月が

とてつもなく長く感じた日々

年末年始ですれ違う車の人は

笑ってる人が多くて…

パパのリハビリが順調に行くまでは

毎日行き帰りに車の中で号泣だったな…


せっかくの冬休みだった息子に

「どこにも行けんかったし

何もしてあげれんかってごめんね」と言うと

「家族なんだし当たり前やん

謝らんでいいよ」と言ってくれた

その息子の言葉に泣けた…


家族が元気でいることがどれだけ大切なのか

身に染みて感じた日々…

それなのに

時間が経ったらまた忘れてる

ダメだな…

反省反省…

今年も家族が健康で幸せに暮らせますように♡

しっかり根を張って生きていこう‼️

たくさん笑ってすごすぞ٩(ˊᗜˋ*)و


次回は番外編

パパに聞いた倒れた時のことを次回綴って

終わりにしようと思います


最後までお付き合いありがとうございました♡


こんな鬼嫁チョモですが

これからも変わらぬご愛顧を

よろしくお願いします(笑)