心を扱う仕事領域にいると
うーん...と感じることがままある。
目に見えない、手に取ることが出来ないモノを
扱っているせいなのか
「仕事である」という感覚?意識?を
どこかに置き忘れがちになっていないかな...
と感じることがたまにある。
例えば世の中の物づくりの領域では
同じ◯◯という名称のモノを作るのにも
△△製法や◎◎製法や、他にも色々な製法があって
どの製法が絶対に良くて
どの製法は絶対インチキだ
なんてことは
よほどのことがない限り起こらないと思うけれど
この世界は、なぜかそういうことが
普通に起きていたりする。
心を扱う仕事における
△△療法も、◎◎療法も、その他色々な療法も
他の仕事と同じで
お客さま(クライエントさん)に有益なモノを提供していくことが大切な目的なのであって
自分がやってる療法が絶対に正しくて
他の療法が間違っていることを
お客さま(クライエントさん)で実証するものではないよなぁ。
自分がやってる療法にお客さま(クライエントさん)を当てはめよう、とするから
間違ってしまう気がするなぁ。
心理療法は、いわば良い仕事をする上での
「道具」である。
「道具」は、知っているだけでも
ただ持っているだけでも
使うことは難しい。
使えるようになったとしても
どのような状況の中で
いつ、どういうタイミングで
どんなふうに使うのか
それを見立てられるようになることが
とっても大事と思う。
ということはやっぱり
目の前におられるクライエントさんへの
道具を使う者の「姿勢」や「立ち位置」が
まずは一番大切なのだなぁ、と
いつも感じている。
でも
専門家バカになってはいけない。
もう何年(何十年?)も前、
電話相談のボランティアをしていたときに
講師の先生から教えていただいたことは
今も忘れず胸にある。
ビルの屋上から飛び降りようとしていた若者に
心理の専門家が呼びかけても
その若者は柵にかけた足を降さなかった。
そこにたまたま掃除に来た
清掃会社の年配の女性が
ただただ若者のそばにいて
若者がぽつりぽつりと話す言葉に
優しくうんうん、と頷いていたら
若者は飛び降りるのをやめた。
心を支える、支援していくとは
本来、そういうものである。
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こんなことを書いている自分も
まだまだ、まだまだ発展途上。
自戒の意味も込めて。
あと、これから心理支援の分野で(福祉領域も含め)
お仕事をしようと思っておられる人たちにも
向けて。