うちの職場でも風邪引いてお休みされる人がチラホラいます。
かく言う自分も
乾燥のせいか喉がイガイガムズムズ


同じ病気(種類は違っても)の人たちの
ブログを読みながら
勝手に一喜一憂してみたり
心配してしまったり
めちゃくちゃ応援していたり



自分はどうかなぁ...
と、たまに考えてみたりしています、


私は初発のときは
TUR-btという、内視鏡を尿道から膀胱内へ通して行う手術だったので
体の表面には傷がありません。
膀胱癌が分かったとき
何が何でも完治したい一心で
「膀胱!全部取ってください!
」

ってK先生に言ってしまって、
逆に
「今はまだそこまで考えなくても大丈夫ですから
」

と諭された?という...

そして再発、転移していることが
分かったときは
手術したくても出来ない状況になっていて
一か八かの放射線と抗がん剤治療を受けることになりました。
だからといって、治療が楽だったかといえば
「自分の場合は」そんなことは全くなくて、
同時化学放射線治療の副作用で
コテンパンにやられたのも事実...

手術を受けられないということは、
目に見えない癌細胞君たちがあちこちにいるということを意味しているのだなぁ...
ということでもありました。
でも、その一方で
大きな手術による痛みや
その後の大変さを私は知りません。
もしも今後、再発したり転移が分かった場合は
膀胱の中だけなら
TUR-btを受けることが出来るらしいことは
この間確認できました。
でも、放射線治療をしっかりうけているので
副作用の癒着の問題もあって
局所であったとしても
開腹手術とかは難しいのではないかなぁと
思っています。
***
再発転移したとき
手術で癌細胞を取り除くことが可能であったなら
自分ならきっと手術を受けて
もしかしたらいるかもしれない画像に写らない癌細胞くんたちを良い子にするため
加えて抗がん剤治療や免疫療法を受けていただろうなぁと思います。
でも、これは
私個人の選択なのです。
私は寂しがりやの夫や息子を
ひとりぼっちにさせないことが
何より一番の希望で、
だから何が何でも生きていなければ、
という思いが
何より一番先に出てきてしまうのです

今は空の上できっと見守ってくれているであろう癌友のNさんも
私と同じでもう手術出来ない状態でしたが、
何とか生き延びる手はないかと治療を頑張っていました。
それでも最後の最後、
「疲れたから治療を少し休みたい」
と言ったNさんに
まだやれることがきっとあるから
頑張ろう!
...と言うことが、私には出来ませんでした。
生きるということの意味も目的も
どう生きたい、ということも
皆んな違うのですよね、
Nさんにもうひと押ししていたら
もしかしたら...
と思うこともあったり、
そのときのことを後悔している自分もいたり、
でも、これは私ではなくて
Nさんの生き方、人生そのもののことなんだ
と思ったり...
今、もしも会えたら
何て言うかなぁ、
そんなことを
なぜか今日は考えています。


さぁ、
午後からは
見て見ぬ振りしてきたキッチンの掃除を頑張ろう!

