当時、荒浜小学校には91人の児童が通っていたそうです。

当初の避難訓練では
校舎横にあった体育館に避難することになっていたとのことで、
校長先生の機転で、校舎の屋上へ避難することになりました。

体育館は津波で流されてしまったとか。




児童、職員だけでなく
荒浜地区の多くの人たちの命を救った
荒浜小学校。





荒浜地区では
残念ながら、児童の女の子ひとりを含めて200人近くの人たちが犠牲になりました。




4階の教室には
地元の人たちと神戸大学の学生さんたちが作成した、震災前の荒浜地区のジオラマが展示されていました。











ここには確かに
沢山の人たちの暮らしがあった。

沢山の人たちが、それぞれの思いで
毎日を過ごす生活があった。





教室からお墓がたくさんある場所が見えました。
お寺は津波で流され高台へ移転したそうです。


荒浜地区の人たちの中には
お墓には来ることができても、
今でもこのジオラマを見に来ることが出来ない人たちが多くいらっしゃる
とのことでした。


スタッフの女性に声をかけていただきましたが
胸が詰まってしまい、
言葉を発することが出来ませんでした。





屋上から見える、今の荒浜地区