膀胱がん多発リンパ節転移ステージ4が発覚してから3年2ヶ月、
退院後の維持療法が終了してから
(といっても、低容量抗がん剤+ハイパーサーミアは定期的に続けています)約10ヶ月の
定期検査があります。
血液検査と尿細胞診、CT検査と膀胱鏡検査
...
そして4ヶ月ぶりのK先生との再会

何度受けても、
やっぱりこの時期が一番ドキドキするな〜

でもそれはもう、自然な反応
仕方のないことだから、
ドキドキしながら
毎日の生活を少しでも明るく
楽しみながら生きていたいなぁと思っています




我が家には一人息子がいます。
なんともう23歳。
我が子ながらビックリです(笑)
大学4年生を2回やって

一時はどうなることかと心配しましたが
研究室に寝袋持って泊まり込みの生活に終止符を打ち
4月から大学院生、学生寮での生活が始まります

そんな息子ですが、
彼がまだ1歳半の頃
脳腫瘍になりました。
一歳半検診で、大泉門(だいせんもん)という
頭頂部の頭蓋骨の隙間が閉じていないことが発覚して
精密検査の結果、脳幹部にくっつくように5センチの脳腫瘍が見つかりました。
診察室でそのことを聞いたときは、
まだ赤ちゃんの息子を膝の上で抱きしめながら
ただただ泣くことしかできませんでした。
その後、
検査してくださった病院の脳外科部長先生に
紹介していただいた大学病院の脳外科で
10時間にも渡る摘出手術を受けました。
手術しても命が助かる可能性は50パーセント
命が助かったとしても、半身不随などの障害が残るのはそのまた50パーセント
あの頃は、
我が子の命を救ってくれるなら
私の命はいりません
と、毎日、毎日
神様たちにお願いしていたなぁ、、
手術が無事に終わってICUに呼ばれた時
看護師さんに
「泣いて良いのに、泣かないで我慢しているんですょ
」

と教えてもらいました。
小さな体にいろんな管や心電図のコードがたくさんついたままの息子のそばで
「よく頑張ったね
」

と夫とふたりで声を掛けると
それまで泣かずに我慢していた息子は
わ〜〜ん

と、堰を切ったように大泣きして
私たち夫婦だけでなく、
その場にいた看護師さんやお医者さまたちも
涙ぐんでいました。
そんな息子も
右目が弱視になったことくらいで
深刻な病気にかかることもなく
無事に23歳になりました。
執刀医の先生を紹介してくださった先生は
今、私が通院している病院の院長先生になられました。
院長先生にとっては数え切れない患者さんの中のひとり、ひと家族だと思うけれど
私にとっては息子の大切な命の恩人のおひとり。
たまに院長先生のお姿を見掛けると
「あのときは本当にありがとうございました」
と心の中でお礼を言っています

そして、これも本当に偶然ですが
今息子が取り組んでいる研究は
息子を助けてくださった大学病院の脳外科と
ご縁があることが分かりました。
がんが分かったとき
神様に、私の命を息子に...
とあのときお願いしたのだから、
それでだったらしょうがないよね

って思ったけれど
でも神様
訂正します

息子にお嫁さんが来てくれて
温かい家庭を持てるようになるまで
お嫁さんに息子をバトンタッチできるまで
そしてあわよくば
夫と後20年、30年
仲良く一緒に生きられたら良いな、
と願っております

頑張りますので、どうぞ
応援のほど、
よろしくお願いいたします
