入院してから1週間くらい過ぎた頃だったか?
同じ病室に先に入院していたNさんに
声を掛けられるようになりました。
Nさんは、笑顔の素敵な
とっても可愛いパジャマとネット帽子が似合う
明るい女性で
他の病室の患者さんたちや看護師さんたちとも
仲良く楽しそうにいつも話していました。
そのNさんと病室の入り口で立ち話になって
Nさんが腎盂尿管がんのステージ4だということが
わかりました。
それだけでなく
がんセンターにセカンドオピニオンに行ったら
できる治療は何もない、余命3ヶ月だ
と言われたと聞いて
その時の私はめちゃめちゃショックを受けてしまって

今から思えば、なんでかなぁ??と自分で自分が情けなくなってしまうのですが、
しばらくの間、Nさんたちと話すことが怖くて
お風呂(この病院の屋上には展望風呂があるのです)に誘われても、なんだかんだと理由をつけては
断っていました。
そんな私の態度にも嫌な顔ひとつせず
Nさんや、同じ病室の腎臓がんのSさんや同じ膀胱がんのIさんが
ことあるたびに明るく声をかけてくれて
私抜きでも楽しそうに会話していたりするのを
聞いているうちに
いつのまにか気持ちが緩んでいきました。
たまたま4人ともが同年代で
年齢の近い子どものお母さんでもあったせいか
皆んなが比較的気分の良いときは
カーテンを開け放って、お茶を飲んだり
ミカンを食べたりしながら
笑ったり、涙ぐんだり、アホなことを言っては爆笑したりするようになりました。
いつのまにか「女子会」と呼ぶようになり
看護師さんたちから「ここの病室は明るくて良いね〜
」と言われるようになりました。

皆んな、手術のできないステージ4の進行がん。
「こんな小ちゃいヤツなのにね〜」
「ほんとにそうだよねぇ、これさえなんとかなれば良いのにねぇ〜」
と話しながらも
決して諦めてはいなかったし
悲しかったり苦しかったりばかりではありませんでした。
副作用が一番酷かった私のことを
皆んなが支えて助けてくれて
スマートホンで
何か新しい治療法はないか、
今、受けられるものはないか、
探しては、情報交換したりもしました。
お互いの検査結果に一喜一憂しては
励ましあって生きていました。
彼女たちに出会ったこと、
一緒に過ごした時間のこと、
私はずっとずっと
忘れることはないです。
本当にありがとう、
また会える日まで
前向いて生きるからね、