最近、70代の女性から、自分のこと(私ではなく)を「年寄り」と
呼ぶのが気になっている。
昔とは違い、今は、90代、100才もありえない時代ではない。
70才が年寄りなんて、なんか、勘違いしているのじゃないかなあと思う。
創価学会の初代会長の牧口常三郎が70過ぎても、「我々、青年は」と
語っていた話を聞いた若い頃は、それは、ないよなあと思っていたが。
自分が70になると。
気持ちが良くわかってきた。
これからだ、と思うのだ。
人生はまだ、決まっていないし、やることはたくさん、ある。
夢もある。
そして、曲がり角を曲がったとき、思いがけない風景が出てきそうな予感が
している。
それは、体調の衰えとは、関係なく。
足が悪くても。
空を飛べるような気がしているのだ。
空を悠々と、飛んでみせるぞ、と思っている。
心の世界は、どこまでも、広がっていくのだ。
年齢はまったく、関係がない。
若くても、自分の可能性を信じれない人は、齢をとっている。
いや、心が老いている。
できないことはない。
夢は荒れ野を駆け巡る。