「表現の自由」消された憲法案 福岡 朝川渡
8回目の100点招待席である。
凄い。
が、驚いたのは、句の内容。
それは、表現の自由が侵され始めるのが、権力の特徴であることは
知っているが、もう、そのような憲法案があるとは、まったく予期して
いなかった。迂闊と言ってもいいだろうが。
すぐ、ブログで、自民党の案か、参政党の案か?と尋ねたところ、
朝川氏からは、ご自分で調べてくださいとの返答。
せっかちなのだ、私。
驚きのあまり、検索したが、表現の自由を制限するという文言は見つからなかった。
焦ったのは、言うまでもない。
ここで、頭の良い彼は、川柳の在り方から、いろんな角度で説明し始める。
なお、焦ったのは、また、言うまでもない。
このような速度で、その時期が迫っていたのは、本当に予期していなかった。
で、ここで、切れる。
ああん、そんなことを知りたいんじゃねえと。
落ち着けよ、自分。
が、私はこう考えている。
遠くにせよ、近くにせよ、表現の自由が侵されることは、ある。
が、そのとき、いや、それまでに、万能川柳が、どこまでできるかと
いうことが問題なのだ。
私のように、知識として知っていても、その危機感をもっている
国民がどれほどいるか、どれほど、増やすことができるか。
そこが未来の分かれ道だ。
万能川柳のできることは、何か?
仲畑時代にできることは、どこまでか?
次の時代は?
そんなことをつらつら、考える夜になった。
私たちは、人の心をノックし続けなくてはならない。