逡巡した従姉妹のお見舞い。
昨日、行って来ました。
想像以上に病状は悪かったのですが。
一時間半くらい、滞在していましたが、その間、マッサージとか、伸びた髪を切ったりとか、そばにいました。
が、驚くことに、その居間には、ご主人も合わせて、5人の人が居たのですが、
誰も従姉妹のそばにはいませんでした。
何をしているかというと、こたつに入って、お茶とお菓子を食べている。
二人は近所の夫婦、二人は、従姉妹の最も親しい親戚の親子。と従姉妹のだんな。
ときどき、私がマッサージしているのを遠くから、眺めている。
従姉妹の状況から。
何回かの判断ミスがあったと感じました。
11月の陶芸の「二人展」はやるべきでなかったということ。
これ以降、ガクッと悪くなったようです。
そして、1月22日に危篤になったとき、病院か、在宅かの判断を在宅にしたこと。
これが間違っていた。
だんなは、手当ができない。
山に住んでいるので、井戸水なので、お風呂に入れない。
日二度のナースの訪問で、清拭などはしてもらっているようですが。
髪は、伸びっぱなし。
お風呂に入らないので、すっかり、体は冷えている。
髪は、少し、切り、マッサージしていると、気持ちよくなったのでしょう。
寝始めました。
だんなは、不安を紛らわしたいのでしょう。
人を集めてしまっていました。
家庭での男性の介護での看取りは無理でしょう。
よほど、技術がないと。
夜7時過ぎに家に帰って、パソコンに向かっていると、だんなから、明るい声で、
冗談のような従姉妹のメッセージが伝えられた。
従姉妹の陶芸の作品を一つもらってきたことが嬉しかったようだ。
私が「二人展」に行かなかったことをずいぶん、恨んでいた。
あまり、話せない状態なのに、「そこに座んなさい」と説教したがっていた。
自分の最後の作品展になるのに、来なかった私を責めたがっていた。
が、私に言わせると、そこまで、見栄を張る必要があるかと思う。
私は、体調も万全でなかったし、東京が苦手なので、お菓子と花だけを贈った。
そのお礼すらなく、音信は途絶えていた。
さぞ、ご立腹だったのだろう。
だが、そこまで、自分中心でいいものだろうか?
ひとは、そっと、生きているのが時として、好ましいものだ。
私は、もう個展はしないし、例えしたとして、招待状を出す元気はない。
相手も、困るだろうと感じるからだ。
また、招待状を出したとして、来なくても、怒ることはない。
それぞれの人に都合があるからだ。
相手を尊重するということがおとなではないだろうか。