内装を撮って。

 

人間は中身が重要だ。

だが、案外、外見も重要なのである。

 

信じて間違いのないもの。ない人。

これを探すのが人生だ。

 

おそらく、「リビルディング」が変貌したのではなく、

私の考え方が変わったのだと思う。

 

こんなことが今日あった。

町に降りる道に、近くの中学校のグラウンドがある。

そこで、野球の練習を子どもたちがやっていたのだが、指導の監督が、

みんなを集めて、日向で、「おまえたちは」「おまえたちは」と

長く説教をしている。

 

しばらく、日傘の下で、見ていたが、あまりに長く説教しているので。

声を上げた。

11時過ぎだ。

「監督さん、暑い中で、長い説教は、こどもたちが可哀想ですよ」と。

 

遠くに居た監督は、なんと、そのあと、私を追っかけてきた。

へ?彼曰く「監督ができなくなるから、そういうことは言わないでくれ」と。

 

「あ、そうですか、わかりました、言いませんよ、今後」と。

 

興味津々の子どもたちが二三名、あとを追いかけてきて、様子を眺めている。

 

熱中症が、プールでも起こっているのに。

不見識な監督だ。

 

スーパーが近かったので、知り合いがその場に居た。

彼女は、私がこう言ったと言うと「強いねえ」と。

そして、監督が文句を言い寄ると、関わりを避けるように、立ち去ろうとした。

 

私は、一向に構わない。

もしも、誰かが、声を出さなかったら。

 

スーパーの駐車場で、幼い子が車に置かれて、亡くなることはなかったのに。

「危ないですよ」と声を掛けていれば。

 

私たちは、往々にして、勇気がないのである。

そして、私はおそらく、馬鹿なのだろう。

 

8月も終わろうとしている。

いろんなことがあった。

 

長い友人とも、失望から、距離を置くようになった。

 

別れが続いたのである。

 

この秋、どんな出会いがあるだろう。

自分を持ちすぎた私が、どんな人と付き合っているだろう。

たった、自分ひとりかもしれない。

 

だが、そのことがなんだろう。

理解されてもいないのに、世間話を合わせようとは思わない。

 

私は、最近の朝は、毎日新聞の仲畑流万能川柳に釘付けである。

一日たったの18句。

その中には、18種類の人間観がある。

可笑しみ、喜び、哀しみ。

ああ、あるある、ああ、そんな見方があったのか、と日々勉強だ。

 

私は、万能川柳がなかったら、たたのケンカ速い、おばさんに過ぎない。

 

今日も一日が無事に過ぎた。

ありがたいと思っている。