長野の殺人事件は、その動機の幼稚さで驚かされる。
「ひとりぼっち」という悪口を言っていると。
もし、それが本当の動機なんだろうかと訝しくなる。
彼は、家を出るべきだっただろう。
そして、本当にひとりで暮らすがよい。
心を病んでいたのだろうが。
人はひとりぼっちなのではないだろうか。
孤独を感じることは、しばしば、あるものだし。
人間は孤独なものだと思う。
そのことを恥ずかしく思う必要はないし、いじめられる必要もない。
もし、人から、友人がいないと言われたら、「そうだ」と答える。私は。
人のことを理解していないし。自分のこともよくわからない。
手探りで、すりすりと小さく前に進むというのが実感ではないか。
そしてまた、多くの場合、失望するのではないだろうか。
暗い闇の中で。
またたく光をたよりに。
人は人のことを完全に理解することはできない。
それが普通の人間だ。
が、最近、気が付いたことがある。
私は天敵に求めすぎたのではないだろうかと。
彼女にそこまで、求める必要があったのだろうかと反省している。
彼女は、今まで、そんなことを要求されたこともないのだ。
目の前の人を大切にするということを。
彼女には、彼女の人生があった。
そんなことに気が付いた。
一方、やはり、学会の中で信頼している人。
彼女に、今回、私は、なあなあでなく、本音を言ってみた。
メールであるが。
それは、当たっているだけに彼女をおおいに怒らせた。
私はそこまで、できないと。
その反応に、私は、彼女の誠実さを見た。
天敵のように、逃げずに向き合ってきた。
言い返してきたのだ。
彼女は、自分の信念で。
お互いに、そのあと、また、一歩、理解し合えたように思う。
投げた球を受けてくれたのだ。
それは、多くの人ができるものではない。
ごまかすか、逃げるか。無視するか。
人を理解するのは、難しい。
長野の彼に。殺人をしてしまった彼に。
本音でぶつかれる人がいたならと思わずにいられない。
そして。
ひとは、孤独なものだと理解して欲しい。
ときどき、吐きながら。
それでも、今日を生きようとしている。