ジャニーズ事務所の亡くなったジャニー喜多川氏による性被害の問題がNHKでも取り上げられているようだが。

遅すぎる。

私もここ、諏訪に来て、つきまといに悩んできたが。

話しても、わからないのだ。

相手が女性であっても、うろうろしていると言っても、「用事があって、そこに居たんじゃないの」と。取り合わない。

勇気を出して、本人に言うと、逆ギレ。

温泉に行っているのの、どこがつきまといなんだ!

おばさんなど、つきまとわねえ!と。

そして、あの土下座事件だ。

私は、散歩のとき、男性に会うと、怖い。

だから、挨拶をするのは止めた。

人影すら、びくっとする。

 

そして、このようなことを書いていると、ブログ読むのを止めたのよ、と言われる。

そりゃあ、不愉快でしょうけど。

事実なんである。

一番、不愉快なのは、私だ。

まさか、挨拶していたら、つきまとわれるとは、思いもしなかった。

 

どうなっているの?!

 

が、結局は、不問に伏されるというのは、他人事なんだろうと思う。

これは、このことだけではなく、北朝鮮による拉致家族の問題にも言える。

他人事なのだから、何十年もそのままでいれるのである。

 

もし、自分が。自分の家族がそうであったなら。

そのような対応ができるだろうか。

 

声をあげるとバッシングされる。

嫌な社会だ。

 

私はバッシングしない。

当事者だったから。

それがこの地に来てからの教訓だ。

 

自分が当事者になってみれば、どれほど、人から理解されないか、わかるだろう。

 

常に。

当事者というのは、ある意味、経験しているということで強いのだ。

私たちは、経験することでしか、わからないことがある。

そして、人への理解も優しさも生まれると信じている。

そうでなければ。

この世は、情けない。