「ストーカー事件」について。
私が毎朝6時過ぎに、自宅に隣接している公園から、うちを見上げて、見ている近隣の男性に「ストーカーではないですか?」と言ったのは、よかったと思う。
それが、二ヶ月、続いていたし、ブラインドを設置しても来ていたから。
よく知る人だはあったし、その男性の親は、地域の有力者なので、新参者の私が
そのような発言を本人にするのは、勇気のいることだ。
それから、土下座して謝れ、頭が可怪しいから病院へ行けの経緯になったわけだ。
少なからず、動揺したが。
私は次の林真理子さんの言葉に、合点した。
それは、ほぼ日手帳に載っている言葉だ。
私のモットーは「やってしまったことの後悔は日々小さくなる。
やらなかったことの後悔は日々大きくなる」
というものなんですが、それが年々大きくなってきて、
「なんであのとき怒鳴らなかったんだろう」と、
よるときどき思い出して「くやしー!」ってなります。
ーー林真理子さんが『マリコは一日にして成らず』の中で
確かに。
あのとき、「ストーカーではないですか。うろちょろするのを止めてもらえませんか」と言ったことは、よかったと思う。
言わなかったら、未だに、その行為に悩んでいたことだろう。
それは、大きな災禍を招いたわけではあるが。
冷静に考えると、ストーカー氏と彼の友人夫婦は、非常に不利な立場にあると思う。
私が「ええ、頭が可怪しいんですよ」と言ったとしても。
この地域、一軒一軒に「平谷さんは頭が可怪しいので、彼のことをストーカー呼ばわりしたんですよ」と言って回ったとして。
ストーカーだと思う人も出るだろうし。
平谷さんが頭が可怪しいと思う人もいるだろうし。
が、その言い回す行為自体がどうも、不利だと思えてならない。
私が彼らの友達として、「どうしたらいい?」と相談を受けたら、「そんなことを言われても、放っておいたらいいよ」とアドバイスするだろう。
私は、まったく、近隣の人に言い回っていないし、一人で悩んで、行動しただけだ。
もちろん、警察にも相談したが、当てにはならなかった。
本人に言う。
このことだけをした。
誰も巻き込まなかった。
言って回らなかった。
そして、近隣の人が聞いている自宅前で、大声で、「土下座して謝れ!」などと
怒鳴らなかった。
その冷静な判断は、のちのち、自分を助けることになるだろう。
今日やったことは。
近隣の齢を重ねた方たちを訪問し、「お元気ですか?なにか、困ったことはないですか?」と聞いて歩いたことと。
道のゴミを拾って歩いた。
その不動の行動は、いつか、自分の勝利となるだろう。
時間が掛かるかもしれないが。
