少しずつ、工夫をして、暮らしている。
本や手帖、ペンなどを古い箱に入れて。
机の上にただ置くより、整理された感じがする。
昨今のニュースを聞いていると。
幸福は一様に似ているが、不幸はそれぞれが違っているという言葉を思い出す。
統一教会の実態など、息を呑むような事柄だ。
理性を失くした宗教は悲惨である。
どんな人も幸福であってほしいと願うだけだ。
自分自身も反省しているところがある。
地元の創価学会の人たちに、なかなか、馴染めない。
それは、私にも少なからず、責任があるように思い出した。
彼らもこれまでのやり方を頭ごなしに、否定される、尊重されないというのは、
受け入れがたいのではないだろうか。
人はそれぞれの生き方も考え方もある。
まずは、一歩下がって、受け入れるという姿勢もあってよかったと感じている。
その上で、自分なりの信念は必要だと思う。
いろいろ、まだ、勉強している。
発展途上なのだ。
が、もしかして。
これが人生なのかもしれない。
昨日よりは今日。
去年よりは今年と。
幾つになっても、成長できるというのは、幸福である。
流されない。負けない。でも、柔軟であれ。
私はいつも、朗らかに笑っていたいのだ。
時には、ジョークを言いながら、腹を抱えて、笑い合いたい。
そんな雰囲気を夢見ている。
誰もが、どんな思想、信念を持っていたとしても、
幸福であれと願わずにはいられない。
人は誰でもが自由だ。
一歩、足を踏み出すことを怖がるな。
