庭の「照子」にサンタの帽子を乗せて、写真を撮る。

昨日、来たばっかりだけど、ずっと、前からここに居たような感じがする。

 

実は、この「照子」の下に先代の犬の大が寝ている。

彼が去って、もうどのくらいが経つだろう。

彼が亡くなったときは、あんなに哀しいことはなかった。

 

或る会合で、我が子をまだ小さいとき、亡くした若いお母さんの話を聞いた。

赤ん坊には、突然死というものがあるようだ。

 

ニコニコわらって、みんなを迎えてくれた彼女にそんな哀しみがあったとは想像しなかったので、衝撃を受けた。

 

塑像の「照子」は、人のように、ここに、私に生きている限り、存在するだろう。

彼女はこう言っている。

どんな哀しみも過ぎてしまえば、土のように温かい。

哀しみを忘れることはできないけれど。

彼や、彼女は、その人の中で生き続ける。

その人が忘れないように、亡くなった人もあなたを忘れない。

 

いつも、ともに居るのだ。温かく。

 

時は流れず、重なっていく。

哀しみの向こう側には、喜びが広がることを祈る。

 

生きとし生けるものが永遠に求め合いますように。