私は、人の生活に憧れることは少ない。
高級マンションも興味がないし、そこそこの生活でいいと思っている。
こざっぱりした布団で寝れるといいなと思う。
ただ、散らかったり、汚れている部屋はキライだ。
人の家の庭の草がボウボウだと抜いてあげたくなる。
自分ちでも、気になる。
が、最近は、以前ほど、庭の草など、気にならなくなった。
なぜだろう。
庭師がなかなか、入ってくれないので、気になっていたが、諦めたのだ。
いいんじゃない?草ボウボウでも、と。
自分ができる範囲は、抜いているが、それ以上は、求めない。
人生は、どこかで、線を引いて、諦めることも大切だと感じる昨今だ。
人の性格というものは、変わらない。
ああ、そういうものだと諦める。
それは、言ってもわからない。
自分がこれじゃあいかんと思わない限り、変わらない。
そして、しばしば、人は、自分の生活、性格を変えることなど、頓着しないのだ。
彼らは、変わることはないだろう、この先も。
これまでも、それでよかったし、これからもいいと思っているから。
私は、考え方が一ミリでも変わればいいと感じている。
それは、諦めることだったりする。
そして、自分の可能性を信じることでもある。
人のことは諦め、自分はまだいけると信じること。
それが、若さを保つ秘訣のような気がする。
びっこを引いても、心は錦ということだと思う。