今晩のNHKのクロ現は、ウクライナの戦時下の戦争犯罪を裁く
ウクライナ検察の苦闘である。
触りの部分だけ観たが、あまりに悲惨なので、観るのを止めた。
現実を見つめることは大切だが、現実というのは、あまりにも残酷な場合がある。
時として、そこから、逃げていいときがある。
創価学会の平和運動で、いろんな戦争の有様を展示する設営に携わってきた。
満州からの引き上げの悲惨。
帰途、亡くなった子供を日本に持ち帰れないので、中国の大地に埋め、そこに咲く花だけを摘んできた母の遺した花。
それは、薄茶色にドライ化していた。
それを母は吾が子と思い、無くすことはできなかったのだ。
沖縄戦では、日本で唯一の地上戦が行われた。
県民の10万人以上が亡くなり、家族の4人に一人は亡くなっている。
日本軍は、沖縄の人々を守ることなく、食料を奪い、隠れる人々に手榴弾を渡し、
自決することを迫った。
自決しかなかった人々。
爆発のあと、隣の人の首から上が吹っ飛んでいたという。
なんくるないさーという沖縄の人の言葉は、このような目を覆うばかりの悲惨の上に築かれた達観である。
私は、このようなことを学んでこれて、よかったと思う。
しかし、時として、野に遊ぶ蝶のように。
飛んでみたいときもあるのだ。
人間の醜さから、目をそむけて、夢を見ていたいと思うのだ。
ひとりの女性として。
クロ現の桑子真帆さんに、もう少し楽しい仕事をしてもらいたいと願う。
重すぎる荷物を横に置いて。