玄関に散歩のとき、拾ってきた枯れ枝と、庭の葉紫陽花の枝を生けて。
天才の誉れ高い、創価学会の第ニ代会長の戸田城聖は、
「学会は、雰囲気でいけ」と語っていた。
いい雰囲気、楽しい雰囲気に人は集まるものだ。
天敵は、お気づきのように、創価学会員だ。
小さな町のリーダー。
彼女と最初から、大きく対立してきた。
言い方が悪い、なにも知らないのに、偉そうにしている。
雰囲気が悪い。と三拍子揃っている。
彼女との言い合いを聞いていた主人は、怒り顔の私にこう言ったものだ。
「彼女は、妙子さんの活力になっているよ」と。
いつも、冷静で、的確な判断をする彼らしい見方が。
疲れもあって、「少し、距離をとって、もらえないか?」と。
言っても、わからないと感じたからだ。
が、彼女なりに、私は必要な人間だと判断したようだ。
離れながら、誠実に連絡をとってきた。
私がなにを怒っているのか、わからなかったのだろう。
それでも、なお。
彼女の執念には、敬服する。
私はいいところもあるし、悪いところもある。
思ったことは言うし、やることはやる。
言い過ぎることもあるし、執念深い。
人を悪く、とる。
それは、臆病なところがあるからだろう。
自分というのは、理解しがたいものだ。
が、人との切磋琢磨で、痛いけど、磨かれることがある。
私は、万能川柳で楽しく磨き、創価学会で痛く磨いている。
そのどちらも、必要ということだ。
生きていることに感謝し、あらゆることに意味を見つけられるようになるだろう。
そんな明日を夢見ている。
