新聞を読んでいると、フェイクニュースとかの論説とかある。
私の結論から言うと、フェイクというのは、常にあるものだろうと想像する。
それは、一層、見破るのが困難になっていき、人々を惑わすだろう。
が、フェイクはどこまで行ってもフェイクなのだ。
そのことを行う人に喜びはあるだろうか?
充実感はあるだろうか?
そう考えたとき、彼らのやる行為は、無駄なのだ。
歴史のゴミと消えていく出来事に血道を上げるのは、
人として、貧しいと言わざるをえない。
それは、一本の糸から、美しい織物を織ることに遠く及ばない。
歴史から、忘れ去られるのだ。
