別宅には、ブラインドを付けました。
付けたかったんですよね。
なんか、いい感じです。
クレーム、付けます。
昨日は、週刊文春に。
神田沙也加さんの死亡に関して、バッシングに等しい記事があったので。
でも、電話口に人が出ない。
「人として、許されません。売れればいいというのは間違っています」と音声に吹き込みました。
知人のお嬢さんがたいへん、悲しんでいるのを聞いたので。
1月7日の公明新聞にも、ある民放ラジオ番組で、「(18歳以下への)現金給付は自民党の主張であり、公明党がクーポンにこだわって混乱させていると放送していました」と。事実は逆。
公明党が10万円を支給するとの主張である。
聴いていた方は、メールで抗議。
公明党も事実確認をし、抗議、翌日には訂正と謝罪があった。
私たちは、違いますと声を上げなくてはいけないときがある。
個人を侮辱された場合もしかりだ。
私は、自分への侮辱は、言いたい者には言わせておけというスタンスだが。
それが、人に対する場合だと猛然と抗議する。
違うと。
また、権力を持つ者には、抗議する。
庶民を馬鹿にするなと。
私たちが教育を受けてきたのは、正しいものは正しい、間違っているものは間違っているとの判断をし、声を上げるためにあると考えている。
権力に対して、声をあげないものは、無関心なのは、
ほんとうの意味で学んだとは言えないと思う。