最近、ご主人を亡くされたおばあさんのところに、様子を伺いに行った。
が、彼女は、忙しかったらしく(それは予期していたのだが)、「今、忙しいから」と怒鳴られた。
そのあと、町に出かけたのであるが、帰ったら、電話があった気配。
そして、しばらくすると、彼女から、謝まりの電話が入った。
今までは、ご主人の反対もあって、手紙をポストに入れる対応だった。
訪ねることは、できなかったのだ。
手紙を入れ続けた。10年近く。
そして、彼女から、ご主人が亡くなったので、訪ねていいとの電話が入ったから、訪ねた。で、この対応だ。
自分が買い物に出かける時間が迫っていたので、怒ってしまい、ごめんねと。
今度、野菜あげるからと。
彼女の本性を見たようで、落胆もしたが、人とは、
そのようなものであろうと理解した。
人は、簡単に恩義というものを忘れる、目先の自分の都合で。
失望と共に、また、勇気というものをもらった。
人は、信義に厚い人を信じることがよいと。
彼女は、彼女の人生を歩くことだろう。
なにか、できると思ったら、大間違いだ。
彼女が自分の人生をチョイスするし、私は私の道を歩く。
自分が努力しただけの解答を得ることはできないが、答えを私は知っている。
最後に勝てばいいのだ。
誠実のみが人生の宝だ。
