不幸というものがある。
それは、ほとんど、人の悪口からくるものではないだろうか。
人の悪口を言っている人は、不幸だ。
私も変わっているけどな。
これから、天敵は、いろんな人に「平谷さんにこう言われた」と言うんだろうな。
そうそう。
昨日のことだ。
近所の親しいのご主人が亡くなった。
ここらへんでは、出棺の時間に地域の人が見送りをする習慣がある。
少しでも知っている人のは、立ち会うようにしている。
が、昨日は、朝、凄く寒く、散歩に行く時間でもあった。
きっと、何か言われるだろうと思ったが、太郎を連れて、出棺に行った。
早速、会った来年、この地域の区長さんの奥さんに「犬なんか、連れてきて」と。
言われるだろうと思ってて、やるのは、確信犯であろう。
だが、犬なんか、ではないのである。
太郎は、家族でもあり、友達でもある。
そこらへんの奥さんより、信頼している。
彼が人の悪口を言っているのを聞いたことがない。
葬儀屋は、9時20分から、遅れ、15分以上、みんな、寒空の中を立って待っていた。
先導した葬儀社のスタッフが車から降りてくるなり、後ろ手で、偉そうに歩いて回っているのは、非常識な私でも驚いた。
遅れてすみません、おまたせしましたでもない。
帰ってから、すぐ、葬儀社に苦情の電話を入れた。
出た女性に経緯を話した。
「苦情です」と言うと、なんのことか、わからないようで、「えっ?」。
これこれしかじかで、と手短に話し、相手がスタッフから、電話を入れさせますというので、「その必要はありません、伝えてくれるだけで、けっこうです」と
電話を切った。
が、しばらくすると、スタッフから、電話があった。
これこれこうで、あれはいかんでしょうと言うと、「勉強になります」と。
プロになって、あの年で、今から勉強になるわけ、ねえだろうと思いつつ、言ってもわからないと思ったので、「よろしくお願いします」と電話を切った。
彼は、また、同じことをやるだろう。
形は変わったとしても、心を変えるのは、難しいし、不可能だ。
彼は、何度も、えらそうにするだろう。
長くなるが、翌日、散歩帰りに、ご主人を亡くしたご婦人のところに、少しの果物と手紙を持って、訪れた。
彼女は、とても、元気そうだった。
そして、来たことを喜んでいたのがわかった。
そのとき、太郎も居た。
太郎は友達。
