人は何を言ったかではなく、何をやったかで判断されるべきだと思う。

 

そして、美しい言葉と美しい行いが好ましい。

 

コロナの感染者が減ってきて、ようやく、人々は動き始めたようだ。

 

従姉妹は、姪と二人で、11月に表参道で「二人展」をやるそうだ。

なんて、素早い行動であろうか。

 

今日は、久しぶりに松本に行って来た。

松本は、コロナ禍で、少し疲れているように見えた。

 

行きつけの店を4軒ほど、回って。

 

或るお洒落な雑貨屋さんで、彼女たちご夫婦がお休みの日は、農家をやっていると知り、驚いた。彼女は、疲れますが、気持ちのよい疲れなんですよ、と微笑んでいた。

天候に左右されるので、謙虚な気持ちになりますと。

 

私は、「人から、謙虚になりなさいと言われているんですよ」と苦笑いすると、彼女は対応に困っていた。フッ。

 

人は時として、本音を吐かれると、戸惑う場合がある。

私は、本音、カモーーーン派なので、しばしば、浮いている。

 

多くの人の助っ人があって、ここまで、無事に暮らしてきたわけだ。

 

が、今日は、松本で、ところどころで、え?!という方たちを見かけた。

旅行者3人組のおばさんたち。

お店の外の椅子でジュースを飲んでいると、その方たちは、店に入っても、ガラス戸を開けたまま。次に来たおばさんたちも、開けたまま。

お店の人が締めに来ていた。

あれ、日本の風習は、そうなってきたのかと訝るような、

二組のおばさんたちだった。

コロナ禍で、ドアは締めないようにしているのか、とさえ、思った。

 

私は、ドアの開け閉めにうるさいタイプの人間だ。

音を立てないように、キチンと閉めて、出る。

そこだけは、いいんだよなあ。

 

あと、無印良品で見かけたおばさんは、白髪の頭をボサボサにしていて、店内を歩いているが、手に一杯、食品を抱えて。スタッフが手伝いに来ていたが、

常連さんのようだ。

 

久しぶりの蕎麦屋さんで、机に座って、蕎麦を待っていると、マスクをしないおじいさんが前に座っていいか?と聞くので、「お店の方に聞いてください」と答えた。

 

この方もいわくある常連さんらしく、お店の女将は座らせた。

彼は、ずっと、うなだれたまま。

内心、おお!と思っていたが、素知らぬふりを。

 

店を出るとき、女将さんから、「今日は、ごめんね」と小さな声で、謝られた。

「いいえ、食べれて、ありがたがったですよ」と返すと、

少しほっとしているようだった。

 

何を言いたいかと言うと。

私は、街の中で、生きるのに困っている人がいるんだなあと感じました。

 

上諏訪の家に帰ってくると。

やはり、落ち着きます。

疲れましたが、犬の太郎が待っていました。

 

少し休んで。太郎の夜の散歩。

庭の花に、水をあげて。

 

今日は、早めに休むことにしましょう。