朝の散歩のときに拾った小さな小さなどん栗。
小さなものは、なぜ、拾いたくなるのか。
昼間のNHKのラジオニュースで、菅首相が総裁選の出馬を断念したとのニュースが流れた。まったく、その予兆がなかったので、正直、驚いた。
が、やはり、嬉しいというのが本音だ。
彼の顔を見ていると、明るい未来というのは想像し難かったから。
オッという感じであった。
が、どの局面で、彼は出馬を断念したのか、それを知りたいと思った。
私たち、夫婦の間では、これだけ、叩かれて、総裁を続けている菅さんは、凄い神経だというのが話題だったので。
それはともかく。
人生というのは、どんな事態になるか、まったく、想像がつかない。
もうダメだと思った次の瞬間に開ける場合もある。
人生を決定付けるものは、何なのだろうか?
私ごとだが、長く付き合っていた友人と、疎遠になった。
その後、彼女は、想像もしなかったほど、状況が変化してしまった。
彼女は、孤独になったのだ。
手を差し伸べようとしても、拒絶してしまう。
おそらく、彼女のプライドというものが邪魔をしているのだろう。
苦しいだけに、助けを求めることができない。
プライドが許さない。
あれよ、あれよという間に、局面が変わってしまい、どうしようもない。
菅さんもそんな感じなのだろうか。
諏訪の夜景を見ては、思うことが多い。
私は、じっと、冷静にこれからの局面を見ようとしている
自分が居ることに気が付く。
日本はこれから、どこに向かうのだろうか。
人は不幸へと流れてはいけない。
私は若いころ、破壊の欲求というものを自分の中に感じた。
そして、今は、時代を建設するものは、一人ひとりの意識の蓄積なのではないかと思っている。
時代の底流に流れるものが。
破壊への欲求ではなく。
人が人らしく生きる時代に向かってほしい。
そして、新しい時代をリードしていくリーダーが若い人の中から、現れることを期待している。彼らは、我慢強い。そして、明るい。
