愛というものは。と考えてみた。
亡母は、私を愛していたと言うだろう。
だが、私はその愛は感じれなかった。
愛とは、それを受け止める人がいて、初めて、成立するもので、一方的に「愛している」と叫んでも、詮無いことだ。
極端な例がストーカーであろう。
愛しているのだろうが、相手にとっては、迷惑この上ない。
相手が受け取れないのだ。
愛は、密かに。ひそやかに。というのが私の定義だ。
ひょっとした瞬間に感じれる愛は、好ましい。
知的な愛も好ましい。
そして、穏やかな愛も好ましいのだ。
「愛している」というのは、時として、迷惑千万な出来事だ。
花が愛されようと咲くのではなく、ひっそりと、誰が見ていなくても、咲くことを楽しんでいる。その姿に、私は、ほっとするのだ。
人は、ただ自然に咲くことを楽しんでいいのではないか。
たとえ、そこに愛がないとしても。
