庭に少しずつ、寄せ植えを試し始めました。

どんな庭になるんでしょうね。

楽しみです。

 

今日の聖教新聞の一面は、「世界人権宣言」の起草に尽力した「アメリカの良心」とたたえられる第32代米大統領夫人、エリノア・ルーズベルト。

彼女の言葉に、

「女性というのは、さまざまな障害をはねのけて、

一センチずつ前進するものなのです」

「一つが切り抜けられたら、次には何でも切る抜けられるはずではないか。

立ち止まって、恐怖と正面から対決する度に、人には力と勇気と自信がついてくる」

 

彼女の幼少期は決して幸福とはいえなかった。

母から愛情を感じることができず、自身の容姿に強い劣等感を抱いていた。

という。

母から愛情を感じることができずということに共感を覚えた。

うちの母もあまり、愛情を伝えることがうまくなかったので、私は、本当の母親は、どこかにいるのではないかと思っていた。

 

母の愛を賛美する人も多いが、私はそうではなかった。

嫌悪すら、覚えていた。

自分のような思いをさせたくないと思い、子供を産むことは、早そうに諦めた。

 

母は、私を愛していたのだろうか。

確信はないが、母なりの愛し方で愛していたのだろうと今は想像している。

また、こどもに対して、過剰な期待をしていたのかなあとも思う。

 

母というのは、不思議なものだ。

すべての母親が愛情深いものではない。と今でも思う。

 

子供より、自分に興味がある人だっていると思う。

それは、それで、いいのではないか。

 

母に過剰な期待をしていたのは、私かもしれない。

そんなふうにも思う晩年になった。

 

世のこどもたちが。

どこかで、愛情に触れることがありますように。

たとえ、親から愛されなくても、勇気を持って、前に進むことができますように。

 

人生は、愛がすべてではない。

が、愛されるよりも、愛することを私は選びたい。