最近観た写真で、一番、いいなあと思ったもの。
メンズノンノ5月号の佐藤健さんの表紙のもの。
メンズモデルの人が卒業。俳優一本で歩き始めるラストセッション。
風景とスタイリングが好きです。
きのうは、怒髪天を衝くの夕方に。
太郎の散歩のとき、横に天敵の車が停まる。
うちに用があったのだが、そのまま、話す。
最近、ぎっくり腰で、やっと治ったと言うと、笑顔で、「ぎっくり腰はくせになるからねえ。」と言い、歯磨きをするポーズで、「これでも、ギクッとくるんだよね」と。
一人暮らしで、山の中腹で、近所に店はない。車も持っていないので、歩いて、山を降りないといけない。
そして、太郎の世話もある。
このまま、痛みがとれなかったら、生活はどうなるのかと非常な悲壮感にとらわれていて、やっと、どうにか、散歩もし、休息をとって、必死で治したのだが。
天敵に言った。
「必死で治したんだから、くせになると言い方はしてほしくない!」
激怒である。
その後、メールで、出入り禁止にした。
用事がある場合は、メール、もしくは、ポストにメモを入れてくださいと要望した。
顔を出すなということだ。
が、朝になって、冷静に考えてみると、私もけっこう、ぎっくり腰の人をからかったりしていた。
「腰、弱いからなあ」と。
が、状況によって、言葉というのは、変わらなくてはならないことに気が付いた。
年齢。若いうちは、冗談ですむことも、歳を取ると、生活そのものが成り立たなくなる致命傷になる場合がある。
そのときの返答は、「大変でしたねえ。二度と、ならないように祈っていますよ」だと知った。
天敵とは、もう付き合うことはないだろうが、重要なことを教わったと思う。