災いというのは、あるものだ。

太郎の散歩とうで、歩き過ぎて、両膝を痛めてしまった。

ところが、災い転じて福となすということがあるものだ。

一つは、喧嘩別れをしていた(私が一方的に怒ったのだが)友人と、なんなく、和解できたことだ。

彼女に週二回、散歩を変わってもらっていたのだが。

また、お願いしようかと思い、行くと、すんなりと話ができて。

働き始めるので、散歩はできないということだけど。

何事もなかったように、応対する彼女は優しいなと思いました。

 

もう一つは、遠くの知人とメールで、やり取りする中で、彼女も年相応に腰が痛いとのこと。ここで、なにか、嬉しくなりました。

ああ、同じだって。

同類相憐れむではないのですが、一緒だねって。

 

人は、痛いということで、人と結びあうことができるのだと気が付きました。

何も痛いところがないというのは、人の気持ちがわからないことがありますから。

 

膝を痛めたことを感謝しています。

テレビ体操も始めてみました。

川柳仲間がやっていると聞いていたから。

 

人は転ぶことによって、転び方を学ぶことができるのでしょう。