アメリカのオレンジ郡にあるアメリカ創価大学の学長がダニエル・Y・ハブキ(日本人)から、エドワード・フィーゼル氏に変わりました。

そのお知らせがアメリカから、届きました。

 

彼は1965年の12月、横須賀で生まれ、父はアメリカ軍人、母は日本人の国際結婚です。父がベトナム戦争に従軍したため、母と一緒にカリフォルニア州サンディエゴに移転。戦地から戻った父は、職に恵まれず、貧困に喘いだそうです。

次に生まれた弟は十度の身体障害を持っていました。

母が働きに出ている間、彼が面倒を見ていたそうです。

 

その後、懸命に勉強した彼は、高校を首席で卒業しますが、高校三年生のとき、失業した父が強度のノイローゼになり、自殺未遂を図ります。

名門エール大学の経済学部への夢も立たれたも同然になりました。

が、その後、父も立ち直り、エール大学の学費全額免除の特別奨学金が

授与されます。

 

全米から秀才が集まった大学での初めての試験では、不本意な成績を出し、大きなショックを受けました。

が、「人間の能力に絶対的な差はない。努力次第で、必ず良い成績が残せるはずだ」と、歯を食いしばって勉強を続けました。

そんな時、先輩から、人々のために尽し抜く池田先生の行動について聞き、目からウロコが落ちるような気持ちになりました。

私は自分のためにだけ勉強してきた。

一流大学への合格を目指し、経済学を専攻したのも、悪夢のような貧乏生活から抜け出したい一心にすぎなかったと。

民衆のための経済学を目指そうと、決意したのはその時でした。

”何のための学問か”を心の支えに自己に打ち勝ち、次の学期からオールAの成績を貫き、首席で大学を卒業することができました。

卒業式に参加した父は泣いていました。父は、もともと、涙もろいのです(笑い)。

その横で、なんと、母も泣いていたのです。

初めて見た母の涙でした。

どんなに辛い時も、悲しい時も、決して涙をみせなかった母がです。

「とても嬉しい。本当に、お前を誇りに思うよ」母はそう言ってくれ、家族三人で第あいました。

初めて母の涙を見て、私は「人間教育」の道を歩もう、平和と文化と教育に貢献する人材になろうと心に決めたのです。

 

フィーゼル新学長にインタビューから、抜粋しました

 

私の生涯の悲願でしたアメリカ創価大学への寄付も去年終えることができました。

最も、期待し、どんな人材がここから生まれてくるか、いつも、注目している大学です。世界平和のために。