次男がRSウイルスにかかって昨日から入院している。

病状は落ち着いているが、補水の点滴、酸素吸入は続いている。授乳後のゲップにたんが絡んで咳き込むのが辛そう。

このまま重症化せずに治癒してほしい。


私も現在付き添い入院で、次男の横で添い寝をしている。


病院が近所だったこと、お盆休みで祖父母が全面バックアップしてくれてることはとても助かっている。


2ヶ月前の帝王切開に比べれば楽勝なのだが、メンタルに来る。

付き添いの交代で、一旦家に帰ったときのこと。昼食を食べお風呂に入って出かける準備をしながら事の重大さに気づき始めた。


病室で私は次男の横に寝て様子を見るしかできないが、上の子は父と2人で健気に遊んでくれていて、母は食事の準備や洗濯をしてくれて、きっと上の子の寝かしつけもしてくれているのだろう。

本来なら楽しい夏休みが、急に制限されてしまって申し訳ない。


病室にいると気づかなかったが私も疲れていたのか気絶するように寝てしまった。

母の電話でたたき起こされ、またあそこに戻るのか、、と気が浮かない。そんな事を考えてしまう自分が更に申し訳なく思う。



昨日異変を感じて受診したことは良かったんだよ。ファインプレーだよ。入院させてもらえてモニターしてもらえてるんだから安心だよ。一昨日の夜間の咳込みは怖かったでしょう。だから翌朝受診したんでしょう。私の選択は正しかったんだよ。大丈夫。大丈夫。大丈夫。


支離滅裂な雑記だが、記録として。退院まで無理をしないで頑張る。

今日は上の子と私の2人で電車に乗って出かけた。途中乗り換えをして、公園と科学館へ行った。


何となくイヤイヤ期を抜けた気がする。手を繋いで歩いてくれて、とってもいい子でありがたかった。

ずっと下の子にかまけてばかりだったから寂しかったのかもしれない。

朝ごはん中に、どこへ出かけるかの話になって、初めて甘えてきた。私の肩を、両手でペシペシしていた。普段我慢させてるようで申し訳ない。


帰省後も積極的に2人の時間を作ろうと思った。

休日の朝に公園に行ったり、電車に乗ったり、些細なことでいいのだと思う。

その子のために100%で向き合う時間が大切だと感じた。


【今日の言いまつがい】

こーんくれーふ→コーンフレーク


【できるようになったこと】

機械を操作している小学生のお姉さん相手に「かわって」と言えた。

小さい声で恐らく相手には届いていなかったが、怒らず順番を待つことができた。


「人に甘える」という表現が体てできるようになった。




「げんこつ山のたぬきさん

おっぱい飲んでねんねして

抱っこしておんぶして

また明日」


まさに毎日がこれで終わってしまう。

何もできなかった、何もしていなかったことへの焦り。

子が無事に成長してくれているだけで上出来と思いたいのだが、虚しさの方が大きい。


今日は久しぶりにひとりで自転車に乗った。

なんという開放感。なんという自由。

時間を気にせず服を見たりスーパーに行ったりするのは何年ぶりだろうか。それだけで楽しかった。


子どもたちはかわいい。

生まれてきてくれて本当に感謝している。この先振り返ってみればきっと私にとって今が一番の幸せ真っ只中なのだろう。


なのになぜ、こんなにもひとりになりたいのか。

日中はお世話をすることに必死でひとつひとつを楽しめていない。寝顔をみてほっとする。


もっと笑顔で接したい。

もっと余裕を持って。

もっと全力で一緒に遊んであげたい。


子と一緒にいられる時間はとても貴重で有限なのに、なぜ保育園に預けてしまうのか。


二人のことが大事なのに全力で向き合えていないのはなぜだろうか。

わざと斜に構えている。

一生懸命全力投球で、失敗するのが怖いから?

失敗するって何に?


明日は私にとって理想的な子育てをしてみようか。


全力で遊ぶ。

食事を楽しむ。

上の子と二人で出かける。

子を最優先に。


そのためには寝不足と体力不足を何とかしないといけないな。


コントロールするんじゃなくて子に振り回されてみよう。