今日で夫が亡くなって6ヶ月。半年です。

正確には、夕方の18時11分虹

その時間が私が記憶している時間です。


もう半年も経ったなんて、ぜんぜん思えません。

ついこの間だった気がするから、、

6ヶ月もの月日が過ぎてたとは、

悲しいです。


もう一人暮らしも半年になったのね


どうやって、、半年過ごしてたのか

お酒ばかり飲んでた記憶しかない



仕事もしてなくて

まともに料理もしてなくて

友達ともそんなに会ってないから引きこもり


そんな生活してるのに

こうして生きてる



夫の介護に、自分のすべてをかけていた

だから夫と一緒に私も終わりたいと思っていた


というより

私1人残されることは考えなかった


だから

120%の気持ちで介護をしていた


いつ倒れても不思議はない(私が)と思っていた



この家で、私が1人で生きるとは考えなかったから



食卓テーブルを捨ててしまった。(後悔してます)

色々な物を捨てた。。。捨てすぎた。

私のものも、実はたくさん捨ててた。(どこを探しても無い物がたくさん。見つからない物は捨てたのだという結論)



それなのに、、、

生きてる


私は不死身なのかもしれない。と思った。




2019年、夫の介護が始まってからからは

常に不安(この先どうなるのだろう)がつきまとい、私は精神的に余裕がなくなっていきました。


夫は入退院を繰り返していたので、しかもコロナ禍でまったく面会ができなかった入院がほとんどだったので、夫がどうしているのかわからずに気が狂いそうでした。


息子を戦地に送り出した母親の気持ちとも言えるものでした。



昨年の7月6日に入院してからは、面会が15分だけできていたのですが、夫の状態がみるみる悪化していて、退院はできないとも言われ、



結果的に入院は3ヶ月半に及び、、私は、よれよれボロボロの精神状態になりました。


心配で心配で、眠ることも食べることもできなくて、仕事もできなくなって退職しました。

1日おきにカウンセリングのお世話になり、やっと生きていました。


自分がどんな状態であっても、真夏の炎天下、化粧もせずに、一心不乱に自転車を漕いで、15分間夫に会うために病院へ通いました。


その15分の面会のために、1日のすべてが回っていました。(土日は面会できなかったので、地獄のような気持ちでした。)




そして、何度か危ないと言われ(私は信じなかった)、


夫の血圧が酷く下がった10月5日から、

私が病院へ泊まることが許可されました。


一睡もせずにその夜、夫の傍らで見守りました。


朝を迎えて、看護師さんが血圧を図りに来て、、、、数値は落ち着いていました。このときは、どんなにありがたかったか。


夫が、私にかすかな声で

「帰っちゃうの?」と聞いたのです。


私は、看護師さんを見ました。夫が落ち着いたから、帰らないといけないのかな、、、


そしたら看護師さんが、ここに居ていいですよって。


ニコニコ今日も泊まっていいのですか?


看「ずっと、いいですよ」


ニコニコわー。ありがとうございます。


それから夫に向かって

ニコニコもうずっとここに居ていいんだって。今夜も泊まるよ。ずっと一緒だよ。



その時の夫の表情が、、、ほんとに嬉しそうで。。。

私も嬉しくて。



あの時は、幸せでした。


それからは、看護師さんたちは病室へ来ても、用が済むと、みなさんそそくさと退室していくんです。


それも「お2人でよい時間を過ごして下さいピンクハート」って言い残して。



ありがたく、2人で過ごさせていただきました。

と言っても、声は出せず寝たきりでしたので、、、マッサージするくらいでしたけど。


でも話しかけると、少しの反応はありました。


私が病院で付き添うようになって、夫の状態が安定してきて、、、私が医師とも話す機会も増えて、

夫と私の希望だった退院を何度も何度もお願いして、、、


やっとやっと、医師が退院の決断をして下さいました。


私は病院に19泊しました。

その間、ルルは1人で留守番させてしまいました。
毎日2.3時間くらい病院を不在にして、家に帰ってルルを抱きしめて、、、

また病室へ戻ると、、夫は、私が戻ってくるのをいまかいまかと待っていました。

病院を出るときには、必ず画用紙に戻ってくる時間を書いて、夫に見せてから家に帰ってました。

夫は時間にキッチリしてるので、イライラさせないように約束した時間より少し前には必ず病室へ戻るようにしてました。必死でした。

そしてね、夫は頑張ってくれて退院日を迎え
おうちに帰ることができました。10月24日です。

(病院からははっきり言われてないけど、今思えば、看取りの退院だったのだと思います。そして、ケアマネさんも、訪問医も訪問看護師さんもそれを共有していたのだと思います)


「ただいま〜🏠」←実際には言ってません

「おかえり〜ピンクハート


それから夫は、おうちで最期を迎えました。
退院から2週間
それが半年前の11月6日(月)でした。


最期は、看護師さんたちもみーんな帰って
夫と私の2人だけのときでした。

明らかに夫の呼吸が変だったので
帰ったばかりの看護師さんに電話して説明したけど
「大丈夫」と言われました

だけども、やっぱり、変だと思ったから
夫の隣に並んで横になった

手をにぎって
顎呼吸をしていた夫に
話しかけた

今までの旅の思い出を振り返って伝えた
たくさん旅行に連れて行ってもらったこと

幸せだったこと

介護のとき、キツイ言葉を言ってごめんねと

後の事は心配いらないからね

ありがとう。。と伝えた

同じようなことを、何回も伝えた


私は話し疲れて、
少しの沈黙の時間が流れたようだった

ふと夫を見たときには
呼吸が止まるところだった


声をかけた
肩をゆすってみた
何度も名前を呼んだ

静かに静かに、、、停止していったようだった


とても穏やかな最期でした。(今なら、そう思えます)

耳は聞こえているから、、、そう看護師さんに言われていたので、
「いっぱいありがとう」と言い続けた。



看護師さんに電話して、訪問医にも連絡してもらい
すぐに来て下さいました。



訪問看護師さんには、もし、夫の呼吸が止まったら、、、そのときどうしたらよいのか。それは言われていました。私は聞きたくなかったけど、、聞かされた内容はちゃんと私の中に残っていました。





入院中、私がいないときには私に代わって
夫を守ってくれていたエンジェル様。夫との旅行で買ったもの。夫の病室に、夫に向き合う位置に、居てもらってました。



ある日の夫は、このエンジェル様を握りしめて金具で親指を怪我してしまい、血が出ていて、、、、すごく反省した私でした。
夫を守ってくれてありがとうございました♥






今日は、午前中にお墓参りに行ってきました。

今夜はたくさん泣いてしまいそうアセアセ

いいよね。





大事なこと、今日はブログに書けたよ。