毎週日曜日は、

 

ゴミ捨て行って

 

買い出し行って

 

晩ご飯食べたら

鎌倉殿の13人を見る

 

という

伊藤家のルーティーンがあるんですが

 

 

今回の鎌倉殿は

悲しかった

 

 

 

 

 

 

 

わたし一番悲しかったのは

尼御台が公暁の手当てをするところ

 

 

 

公暁が、落ち着いているのに

言ってることが

はちゃめちゃで

 

 

 

政子も

息子を殺されたのに

命を奪われたのに

 

孫の致命傷ではない傷を手当てする

 

 

 

 

なんかその

 

落ち着いてるし

誰も騒いでない

誰も悲しみも怒りもあらわにしてない

 

 

その静かさが悲しかった

 

 

 

 

 

大きな悲しいことがあると

それでもなお

「普通」があることが不思議な気がする

 

 

 

異常事態の次の瞬間に

お腹がすいたり

けがを手当てしたかったり

 

 

 

そのふつうが

ふつうに過ごせることが

 

むしろ

残酷にも思える

 

 

 

 

 

悲しいという一色に

染まりきらないのは

体の身勝手さとたくましさ

 

 

 

 

ゆれてゆれて

でもまだ生きてる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聞きたいことなどありましたら

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