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自分の人生は、自分で決める虹

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好きなものを

「好き」って言える私へラブラブ

 

 

どうせ私なんて…

恋愛も人間関係も

上手く行かないと悩む

あなたへ✨

 

苦しい母娘関係からの解放花

 

内面(心理学)と

外見両方からアプローチハイヒール

 

【 イメージコンサルタント 】

 

【 自己受容カウンセラー 】

しょうこです🌷

 

 

 

 

 

母娘関係で苦しかった私が変われた理由〜前編〜

 

 

私は

お母さんの自慢の娘

でいたかった

 

そのために、無意識に

平均レベルを維持しなくちゃって

思ってたんだよね。

 

私は、小学生の時から感覚的に、

自分は

「平凡」

「平均以下」

「中の下」

だと思っていたんだ。

可もなく不可もなく みたいなね。

 

すごく可愛い訳でもない

すごく勉強ができる訳でもない

 

スクールカーストで言う真ん中の

いわゆる「普通の人

 

そんな私が

平均レベルになるため

真ん中のポジションを

維持するためには、

頑張って努力(や課金)して

 

「平均レベルにならなきゃ」

 

って無意識に思っていたんだ。

 

これは

大人になってからも

ずっと思ってたんだよね。

 

 

私には、

二つ下の勉強ができて

要領のいい妹がいるんだけど、

 

幼少期の頃から、

自分で勝手に妹と比較して、

 

私は頑張らないと

お母さんに認めてもらえない

 

って思ってたんだよね。

 

大ぴらに比べられたり

100点取れなくて怒られたり

妹から馬鹿にされたり

そんなイジメみたいな事はなかったけど

無意識に

比べてたんだと思うの。

 

勉強の出来は平均的。

 

70点の私が、

いつも100点を取っている妹より

お母さんに

「認めてもらうため」

「褒められるため」

「自慢の娘になるため」

には、常に残りの30点分、

勉強以外のことで努力して

点数を稼がなきゃいけない!

 

褒められるためには

良い子でいなくちゃ

と思っていたのかもしれない…ショボーンもやもや

 

 

 

共働きだったから

「お手伝いすると

お母さんが喜んでくれる」

と思って

妹は、お手伝いを

頼まれた分しかしなかったけど

 

私はそれ以上のことをしたら

点数稼げる!✨

って無意識に頑張ってた。

 

でも心の中では

「妹は頑張らなくても

認められてて良いなぁ〜」

って常に思ってたんだよね。

 

 

私のお母さんは、

町内のイベントには

積極的に参加するような明るい人

友達からも、

元気で明るいお母さんだよね

面白いお母さんだよね

ってよく言われてた。

 

アクティブでムードメーカー。

それでいて八方美人

周りに気を遣ってて、

頼まれたら断れないの。

 

外では明るいけど、

でも、家に帰ったら疲れてる

 

イライラしてる時と

機嫌のいい時の差がすごかったんだ。

 

疲れるならそんなに

頑張らなきゃいいのにって

子供ながらに思ってたの。

 

 

 

お母さんは、

常に忙しくて、せかせかしてたから

私に

どうしたい?

どう思ってる?

って気持ちを聞く前に、

 

「あんたはこうでしょ!」

って私の気持ちを

決めつけることが多かったんだ。

 

本当は違うのに…

 

自分の本当の気持ちを

言えないことが

増えていったんだ。

 

そうしたらだんだん

自分の気持ちを伝えることが

苦手になって、

 

いつの間にか

自分の気持ちがわかりにくく

なっていったんだよね。

 

 

私が中学1年生の時、

お母さんがうつ病と診断されたんだ。

 

その時お母さんは

フルタイムで仕事(毎日2万歩歩くような体力仕事)

しながら、

私が小学4年生から始めた

バレーボールの練習や試合の送迎に、

お母さん自身の

ママさんバレーの練習でほぼ1週間埋まってたんだ。

そりゃ、予定を詰め込みすぎだし

病気にもなるよね。

 

 

 

その前から前兆はあって

小学6年生から

学校行事の日のお弁当を

作ってくれなくなったり給食当番の白衣を洗濯や

アイロン掛けをしてくれなくなったり

ママさんバレーの練習に行かなくなったり。

 

お母さんの病気に

全く戸惑いがなかった

といったら嘘になるけど

我が家は、ずっとお父さんが

平常心でいてくれたおかげで

乗り越えられたのかなって思ってる

 

でも、その頃ちょうど嵐の二宮君の

「フリーター、家を買う」

っていうドラマがやっていて

お母さんがうつ病になるところから

物語が始まるんだけど、

タイムリーすぎなのと

ドラマだから誇張されてるのもあって

ちょっと怖かったかな🥲(笑)

 

 

 

それからは、

中学は部活の応援に

お父さんが来るようになったり

みんなお母さんと参加してた

高校の進路説明会を

一人で聞かなければならなかった。

 

寂しい気持ち

今でこそどんな病気か

認知され始めてるけど

当時腫れ物を扱うような風潮だったから

周りの人に相談とかもできなくて

辛かったかな〜。

 

 

 

当時の気持ちを深堀りしてみると、

 

頑張っているお母さんの

力になりたかった。

 

力になってあげられなかった

無力感。

 

お母さんが病気になったのは、

自分がダメだったから

なんじゃないか…

 

いろんな思いがあって、

私自身も

お母さんとどう接していいのか

分からなくなって

学校でちょっとグレたり(笑)

言いたいこと言えなかったり

 

友達は自分のお母さんと

仲良くできているのに

私は出来てないって比較して

 

本当は仲良くしたい!

 

思いもあったけど、

うまく伝えられなくて

自分責めたり

自己嫌悪してたんだよね。

 

 

自分に自信がないのは

社会人になってからも変わらずで、

私は、服やコスメをたくさん買うことで

その不足感を埋めようとしてんだ

 

一着1、2万のブランドの服を買ったり、

デパコス〜プチプラ関係なく

コスメもいっぱい買ってた。

今みたいにSNSも発達してなかったから、

雑誌もいっぱい読んで研究して

頑張ってたんだ。

 

でも、似合うものがわかっていなくて

数打ちゃ当たる精神だったから、

思い返してみるとイマイチなものも多くて、

高かった服も

今はもう手放してるものばかりあせる

 

だから

買っても買っても

満足しなかったのかも。

 

 

どうしても自分のコンプレックスである

短いまつ毛を解消したくて

自分に自信がほしくて

自分に似合うマツエクを

いろんなところに行って探してた。

 

行動力すごいよね(笑)

 

1回1万以上かかるところにも

何回か通ったよ。

 

どうしてそこまで行動できたかというと、

やっぱり

「自分には価値がない」

って思っているところから来るんだよね。

 

マツエクをつけることで

「やっと人前に立てる」

「素の自分よりマシ」

「私は人よりお金をかけてやっと完成する」

って思ってたんだ。

 

カラコンも一緒でね、

小さい目、バランスの悪い黒すぎる瞳

っていうコンプレックスから、

 

「カラコンして、

やっと全体のバランスが取れる!

調和して見える」

「黒目が飛び出て見えるのがなくなる」

「目が大きく見えれば、

少しは可愛くなれるかも!」

 

って、マツエクもカラコンも、

いつの間にかしなくちゃ!

って義務になってたんだ。

 

でも、いくらお金をかけても

私の自信がつくことなんてなくて

周りの可愛いこと比べて、

 

頑張りが足りないからダメなんだ

可愛くなれないんだって

ますます自信を無くして空回りしてたんだ。

 

結局不足感を埋めようとしていたから、

いつまでも

満たされなかったんだよね。

 

 

大人になって、

お母さんの病気も落ち着いてきたけど、

お母さんとうまくいかなくなることが

増えてきたんだ。

表面上はうまく取り繕ってたんだけど、

幼少期のモヤモヤした気持ちが

未消化なのもあって、

ずっとシコリがあったまま

生活してたんだよね。

 

うまくいく日もあれば、

いけない日もあって…

 

ある日、うまくいってない時に

一緒にキッチンに立って

晩御飯を作ろうとしたら、

耳鳴りが止まらなかったんだ⚡️

頭痛もずっと治らないの。

 

『あぁ…

もう同じ空間に入れないんだ』

 

『お母さんのこと、

こんなふうに思うなんで自分サイテー

 

これ以上お母さんのこと

嫌いになりたくない

 

そう思って、

家を出て一人暮らしを始めたの🏠

 

家を出る時も

何も言わずにでたんだ。

だって理由が

お母さんと一緒にいられないから

なんて言えなかったから🥲

 

お母さんが法事で実家に帰っているときに

勝手に家を出たから、

それはそれは激怒され爆弾

LINEも拒否されたよ。

 

 

 

今思えばね、

 

自分を守るためには

この方法しかなかった

 

って自分の行動を

認めてあげればよかったのだけど

 

家を出てしまった罪悪感

 

「お母さんの自慢の娘(良い子)

になれなかったなぁ…」

「親不孝な出方してごめんなさい」

「お母さんを苦手に思っちゃって、

ごめんなさい」

 

って無意識に自分を責めてて

せっかく家を出る行動を起こしたのに、

苦しみから

ずっと抜け出せなかったんだよね🥲

 

でもね、家を出てアパートを借りて、

初めてその部屋に寝た時、

自然と耳鳴りがなくなっていて

「あぁ、自分無理してたんだな」

ってちょっとホッとしたのも覚えてる🌿

 

 

しばらくして、

お母さんの徹底抗戦が始まって、

「実家の鍵を返して欲しい」

と妹伝えに言われて返したんだ。

 

私は、家を出ても、

時々は帰ってお父さんや妹に

ご飯作ってあげたり、

猫と戯れたりしようと思っていたのに、

 

「帰る場所も取り上げるんだ」

「お父さんや猫にも会えなくなるんだ」

ひとりぼっちになっちゃった」

本気で私を拒否しているんだ

 

って悲しかった…🥲

 

あと、幼少期や学生時代のアルバムが

妹伝えで届いた時も、

 

「過去の可愛かったころの自分ですらも、

実家に(近くに)置いてもらえないんだ」

 

って思ったら、涙が止まらなかったんだ。

 

 

 

頑張ってきた過去の自分を

拒否否定

されたみたいで悲しかったんだ…

 

全部自分で選択しているハズなのに、

 

どうしてこんな思いしなくちゃ

ならないんだろうのか…

 

いつまで苦しいんだろう…

 

家を出てるのに

いつまでお母さんのことで

苦しまないといけないのか

 

なんか全部うまく行かないなぁ…

 

恋愛も仕事も親子関係も

順調な子と自分は

どこが違うのだろう?

 

私はあと何を頑張れば

いいのだろうか?

 

やっぱり可愛くないから

ダメなんだろうか?

 

努力が足りないからなんだ…

 

って思ってたんだよね。

 

 

家を出るなんて

大きな行動を起こしたものの

耳鳴りがよくなっただけで、

 

生きにくいまま、

恋愛もうまくいかない

いわゆる

“こじらせ女子”だった私は

自分がこじらせているのは自覚してたけど

どうしたら脱出できるのか

方法が分からなかったの。

 

そんな時

ちょっといい感じだった男性に

ドタキャン既読スルーされて

かなり落ち込んだことがあったんだ。

 

「私は価値がないから

恋愛もうまく行かないんだ」

「どうせ私は選ばれないんだ」

 

ってずっと思ってた。

 

でも、

ドタキャンされる人から卒業したくて

何かいい方法ないかなぁ〜って

#こじらせ女子

をインスタで検索して

何人か恋愛カウンセラーさんを

フォローして、

自分に当てはまるなぁっていうものに

いいね♡ 押してたの。

 

でも、特に変えようと

行動はしていなかったんだよね

 

 

 

 

数ヶ月後、

私の中で人生一番の

イライラ爆発事件が勃発爆弾

 

ほんとに些細なことなのに、

イライラがおさまらなくて、

自分でコントロールできない

後輩に怒り散らしてしまったんだ😫

 

後輩が先に帰ったあと

すごく自己嫌悪したのを覚えてる。

 

その時にね、一緒にいた同僚に、

『それって、そんなに怒ること?』

と言われて、はっひらめき電球としたんだ。

 

他の人は、同じ出来事であっても

こんなに怒らないだろうに、

 

私は、

なんでこんなにも怒って

イライラしてしまうんだろうか?

 

その時初めて

自分を客観視出来たんだ

 

そんな事件の日の夜、

自己嫌悪しながら

インスタのストーリーを

ぼーっと見てたら

 

前からフォローしてた

カウンセラーさんの

 

『4ヶ月間の

オンライン講座の募集』

をたまたま見つけたんだ。

 

講座案内の投稿をみて、

直感でこれ!

って思ったんだ

 

 

イライラを手放せる

心が軽くなる

 

ってどんな世界なんだろう???

 

28歳の終わり間際、

このまま29歳の誕生日を

迎えたくなかった。

 

30代に向けて自分を変えたい!

何か行動したい!

 

と思って講座を受講することに決めたんだ。

 

「変われなかったらどうしよう」

「詐欺だったらどうしよう」

「このお金あったら、

ケイトスペードのかばん買えるなあ(笑)」

 

って気持ちがなかった訳じゃないよ。

初めてちゃんとした自己投資だったから、

お支払いも緊張したし、ドキドキしたけど

 

未来へのワクワクの気持ちの方が

大きかったんだキラキラ

 

 

講座の一番最初に

現在の自分”について書く欄で

「悩み」のところは、

自己肯定感が低い・自分に自信がない

って書けたけど、

 

自分がどうなりたいのか

書けなかったんだ

 

自分がどうなりたいのか

具体的にわからなかったんだよね

 

講座内で、質問に答えてくれる

ライブ配信で、

カウンセラーの先生が

「みんなのこと大好きだよ♡」

って毎回言ってくれるんだけど

 

初めて配信をみた時

なぜだか勝手にが溢れてきたんだ

 

なんで泣けたのか

分からなかったけど泣けたんだ🥲

(今思えば

”を欲していたんじゃないかなって思う)

 

講座内で、

「4ヶ月

自分のために時間を使いましょう!」

と言われて

自分と向き合う時間を意識的に作ったんだ

 

コメダで一人ワークする時間を作ったり

休むのが怖かったけど

(必要とされたかったので休めなかった)

1日休む日を作ったり

 

自分にできることから

少しずつ行動して行ったんだ

 

そんなタイミングで交通事故にあって(笑)

半ば強制的に余白も作れた

 

余白を作ったら、

本当に必要なものが入ってくるような感覚

体験することができたの。

 

 

4ヶ月で少し変われた経験から、

 

「もっと深く向き合ったら、

どんなふうに変わるんだろう?」

 

「本気で向き合ってみたい!」

 

って思ったし、

何より、その先生の

 

自分が変わって幸せになれれば

未来の旦那さんや子供も

幸せになれる虹

 

この言葉にが溢れて

が動かされたんだ。

(どんだけ泣くんだよ(笑))

 

それで「半年の長期講座」の受講を

決めたんだ。

 

 

 

(結婚が決まってる相手とか

いる訳ではなかったけど)

私は

 

「自分の子供には、

お母さんみたいなことをしたくない」

 

「お母さんみたいな

お母さんになりたくない」

 

「自分はかわいそうな子」

 

「こんな不幸な思いをするのは

私までにしたい」

 

「負の連鎖を断ち切りたい」

 

そう無意識に思っていたんだと思う。

 

(きっと恋愛も、

結婚に繋がるかもってセンサーが反応して

無意識なところで望んでいなくて

うまくいってなかったんだよね…)

 

半端な気持ちで受けられる金額では

なかったからこそ

覚悟も決まったし、

 

何より

「変わるんだ!」

って強い気持ちでいっぱいだったんだ✨

 

 

最初のオンライン講座の時に、

なんとなく感覚で

自分の気持ちがわからないな〜って

ぼんやりしていた所が

 

この長期講座を受けたことで

まず私は

 

自分の気持ちがわかりにくくて

気持ちを

うまく言葉にすることが苦手

 

ってことがわかったんだ。

 

自分がどう感じていて、

何を思っているのかわからなくて、

長年自分の本音に蓋をして生きてきたから、

心にコンクリートの壁が何層も

できているみたいな状態かな。

 

自分の気持ちがわからないから、

セッションでも

 

「今どんな気持ち?」

「どう思ってる?」

 

って聞かれるのが怖かった

 

「考えてもわからないよぉ…」

「うまく伝えられなかったらどうしよう…」

 

言葉にしようとすると、

なぜか勝手にが出てくる…

 

それでも少しずつ言葉にする練習をしたり、

自分と向き合うことを諦めなかったの

 

心のコンクリートの壁を

少しずつ砕いて行ったんだ!

 

 

 

お母さんと自分のことについて、

個別セッションやグループセッション、

たくさんのワークをやってみて

 

無価値観や

自己肯定感の低くなる設定には

常にお母さんが関わっている

ことに気づけたの。

 

向き合い方や対処法を学んで

仲間と励まし合って

心を癒していくことで

 

私自身が、

本当はどうしたいのか

本当に大切なものはなんなのか

考えることができたんだ☆

 

 

 

 

4ヶ月のオンライン講座がはじまる前の

2020年の夏🌻

 

巷では

“パーソナルカラー診断”が流行り始めてて

雑誌やSNSでも

イエベ・ブルベって言葉を

よく耳にするようになったよね付けまつげ

 

ミーハーな私は

単純に自分が何なのか知りたかったのと

自分に自信をつけたくて

パーソナルカラー診断を受けたんだピンク薔薇キラキラ

 

その時に

イエベ秋 顔タイプキュート

って診断されて、

ベストカラーも出してもらえたけど、

全く似合わなくはないけど

 

ベターではあるが

ベストではない感じ?

がして、

かえって迷子になってしまったのダッシュ

 

一番最初の

イエベ秋🍁と診断された時ね、

ベストカラーに

(自分的ベストカラーの)ピンクがなくて

なんとなく腑に落ちなかったんだ〜ショボーン

 

一緒に受けた顔タイプ診断の

顔タイプキュート🎀も

あんまり好みじゃなかったしね(笑)

 

その後に2回目の診断で

イエベ春🌸って言われて、

好きな色ばかりだったから

結果も満足ではあったんだけど、

 

黄ぐずんでいるのだろうか?

 

オレンジ色のリップやチークが

似合わないのに春???

なのかなぁとは思ってたキョロキョロタラー

 

一緒に顔タイプも受け直して

顔タイプフレッシュ🌿

って診断されて、

顔タイプは納得&満足だったかな☺️♪

 

 

 

ここまでオタク並みに調べたり(笑)

迷走したりしてたら、

 

もっと本格的に知りたい✨

勉強してみたい✨

 

って思うようになって

資格を取りに行ったんだ!星

 

 

パーソナルカラーの資格を取るときに、

相互練習で診断を受けたら、

まさかの

ブルベ夏💠って言われたの。

 

その時拒否反応が凄かったんだよね…

 

動揺もハンパなくて、

しかも好きな色もなくて絶望ネガティブ

 

今まで集めたイエベ春の

コスメや服をどうしよう…

って思ってたけど、

 

おや?!気づき

顔映りはいい?のか…?

リップも発色も悪くない。

むしろ良いのでは🤔?

 

とは思っても、

心が拒否してるから

腑に落ちない時よりも

もやもやしてたんだ。

 

もういいかなって思ったけど(笑)

資格とる前に

Twitterで流行ってた流派のを

予約しちゃってたから

4回目の診断受けにいったら

 

まさかの

1stイエベ春🌸2ndブルベ冬❄️

って診断されて

ますますパニック🥺💦

 

黄ぐすむの解決せず

ブルベ冬も拒否反応が出て

もやもやのまま終了

と迷走したんだよね真顔

 

 

 

結局4回も診断を受けたのに

(受け過ぎ?(笑))

 

受け取りたいものだけ

受け取って

嫌なものは拒否してたんだ

 

お金も時間ももったいなかったなあ〜笑い泣き

 

 

それでね、ふと思ったんだ。

 

結果が素直に受け取れる時と

受け取れない時があるのは

なんでだろう?

 

特に私の場合は、

ブルベの色への拒否反応がすごかったんだドクロ

 

 

 

なんでなのか、

資格取得から2ヶ月ぐらい経ってから

 

「あぁ〜私、

お母さんみたいになりたくない」

 

って思っているから、

 

ブルベの色は、お母さんの色

 

だから拒否反応が出たんだ!気づき

 

ってことに気がついて

腑に落ちたんだよね😌

 

(※ちなみに母はブルベ冬。

グレイヘアーの似合う人で、

いつも黒い服とか着てて、

マゼンタピンクがとても似合う人)

 

そんな自分に

気づくことが出来て、

なんとなく心が軽くなったんだ🕊

 

 

 

 

お母さんみたいな

自分がいてもいい

 

って自己受容できるようになってから

あんなに拒否していたブルベカラーも

少しずつ

受け入れられるようになったんだ💙

 

UNIQLOで青色のニットを

勇気を出して買った時

さらに自分を認めてあげられた気がして、

ホクホクした気持ちになったんだ☺️♪

 

 

 

そうなったことで、

私のように悩んでいる人の

力になりたいと思ったんだけど・・・

 

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