かな〜りお久しぶりのブログになってしまいました
知らない内に絵文字も増えていてびっくり(笑)
たまに皆様のブログを拝見させて頂いたりはしていましたが、自分のブログは全く手付かず...
題名にもあるように、人生何があるか分からないですね...
過去のブログもどこまで書いたかも見返さずにこのブログ書いていますが、
この1年で人生変わりました
激変しました。
あれから不妊治療も続けてはいましたが、毎回陰性に終わるので、毎回妊娠判定日はブルーでまた次の準備しなきゃな(採卵や移植)と思っていました。
鉄道病院でも、もう最後の1個の凍結胚だし。
しかも初期胚。
そんでもって、いつもの如く、今回もあかんやろなと、移植しても全く何の期待もせず、何ならホルモンの薬(飲み薬とか)はきちんと守って飲んだりしていましたが、移植前に良いとされる事はすっかり頭から抜けてて、全く何もやっておらず、、、(やる気はどこへ...)
不妊治療にお金がかかりすぎるので、自分にお金をかけることも全然していなかったので、
ずーっと同じもの使ってるし、今年は(去年)お財布でも買い替えて気分転換しようとか思って、メルカリでの売上とか、独身時代に貯めたお金握りしめて、色んなブランドのお店の物見たりしてかなりウキウキして、移植直前に買い物したりして、移植の事は全く頭になかったのです。。
移植の日になり、あ~今回も何もしてないし、あかんかったなと諦めの境地と、私の人生は子どもの持てない人生なんだろうなぁ~、いつまで不妊治療続けるのか、もう辞めようかな、年齢も年齢だし、先見えないねと、思いながら移植して。
何の期待もせず、不妊治療続けるなら次の採卵の事もチラッと相談して帰ろうかなと思って、判定日に鉄道病院に向かいました。全くフライングの検査もせず。
それが昨年2021年7月の事。
いつもの如く、診察室に入って、大きな声の先生の(廊下に聞こえる)一言。
「〇〇さん、妊娠の反応出たかな〜〜(出たよって意味の)数値もまぁまぁいい方やし〜〜」
びっくりして、
「え?!そうなんですか...」としか出ず。。
何回も移植してきて、妊娠反応は出た事何回かあるけど、心拍確認後の流産や、流産、化学流産等何度も繰り返して居たので、手放しは喜べなかったですが、
hcgの数値がかなり良かったのが、今回で2回目だったので、先生も今回こそと、できる限りの対策をして、妊娠継続出来る様に毎日注射(プロゲステロンやったかな?!)して行きましょかとなり、
その日から11週頃まで鉄道病院を卒業せず、1ヶ月半、土日関係なく、毎日毎日注射に、せっせこと通いました。
(普通は8週とか9週で不妊治療の病院を卒業すると思われますが。)
そして初めて、鉄道病院を卒業する事ができ、
そこからはかなり端折りますが、無事に今年の3月に出産する事が出来ました。
結婚して10年近く。
結婚してすぐから妊活、内膜症の手術や、不妊治療を始め、何度も採卵しては移植。
不妊治療の助成金なんてとっくに使い果たし、気づけば40代突入。。。
結婚して10年近く、10回目の移植で、高齢出産、やっと、やっと、ようやく私の元にも赤ちゃんが来てくれました。
長かったです。
それはそれはとんでもなく。
過去には流産等を経験もしているし、長年授からなくて苦労しすぎた為、今回も流産してしまったらどうしよう...
大丈夫かな、赤ちゃんお腹で生きてるかな…
毎朝、大きくなるお腹を見るまでは、妊娠しているの夢なんじゃないかなとか、心臓止まってしまったらどうしよう...
本当に毎日不安で不安で、流産がトラウマすぎて、旦那さん以外誰にも妊娠の事伝えられず、
安定期超えて少し経ってから、自分の両親だけに報告して(両親泣いていました)、一切誰にも報告せずに出産までに至りました。
怖いもん。。
もし途中でまたダメになってしまったらどうしようって。。
調子に乗って周りに報告してダメだった時のことを考えると、誰にも妊娠報告出来ませんでした。
無事に生まれてきてくれたら、出産できてから報告したい人に報告しようと思っていたので、無事に出産して報告した友人(少ないから数人だけど)も、旦那さんの両親(色々あって旦那さんと両親は絶縁状態)や家族達はかなりびっくりしていました。
自分には子どもと縁がない人生なんだろうなぁと何年も何年も思っていた為、本当に夢のようです。
経膣分娩でしたが、私が、下手くそすぎてなかなか赤ちゃんもおりてこれず、吸引分娩になり、、、
この、最後のいきみで吸引分娩で生まれないと緊急帝王切開になりますと言われびびり。。。
最後のいきみで、大きな先生が私のお腹に乗っかって押し出して、お股も広い範囲でチョキンされ、、、
無事に生まれてきてくれました。
初めての出産もそれは思っていた想像していた以上の壮絶なものでしたが、我が子に会えた瞬間は涙が止まらなかったです。
本当に私の元に来てくれたの?!私の子なの?!と、痛い想いして出産しても、夢のまた夢すぎて少しの間実感も持てずにいました。
そして自分の子はとんでもなく可愛い。
愛おしすぎて、毎日泣けてきます。
もちろん退院まではお股、おしりがボロボロもいいところで、とんでもなく痛くて大変でした。
初めての育児で、今もてんやわんやで、寝不足で体もボロボロですが、我が子の寝顔、時に見せる笑顔、しぐさ、何もかもが愛おしく、何をされても全くイライラしません。(今は寝返りもしないし大変なのは寝不足位だからだと思う)
こんな私にも赤ちゃんが来てくれました。
ほぼほぼ諦めていたけど、諦めずに不妊治療してきて本当によかった。
最後の初期胚で我が子に逢えた。
人生何があるか分からないなぁと実感しました。
人生激変。
自分の命以上に大切なものがある。
宝物が我が家に来てくれました。
大切に大切に育てていきます。
長々と書いてしまいました
※鉄道病院の坂井先生には感謝しかありません。
本当に、本当に。
マイナス思考な私をいつも呆れつつも(笑)
励ましてくださいました。
ざっくり性格の先生ですが、臨機応変にも対応して頂き、じっくりお話も聞いてくださるし、料金もとても良心的で本当に助かりました。
途中、リプロに転院して紆余曲折あり、私は遠回りをしてしまいましたが、結局は鉄道病院に戻り、我が子に逢えることができました。
鉄道病院を卒業の日には泣きながら帰りました。
鉄道病院の看護師さんもみんないい人達で、本当に鉄道病院で授けて頂いてよかったです。
またもし第2子を考えるとしても鉄道病院でお願いしたいと思っています。
が、先生も1年くらい先(去年の段階で)だと居てると思うけど、それ以上は分からないと仰っていたので、
坂井先生のもとで治療をしたい方は早め早めをおすすめ致します。
本当に鉄道病院、坂井先生に出逢えてよかったです。