学校というシステムからはみ出すことはマイナスなのか
ブログが久しぶりになってしまいました
春休みに楽しんだこと
主に、スペインから帰国してくれた親友おやことのラグナシア
とか、新学年のこととか、心の中で書いてたことたくさんあったのに、、笑
さて、絶賛別室登校中の娘
自然学校は気合を入れて
3日が限界かな!
と言いながらも行った娘
でも、まさかの初日にお迎え要請してきた娘
途中参加もできるから、今日は行こう!
と高速使ってでも送って行くと言っても
無理だ、と言う娘
これを機に、親子で涙を流しながら、お互いの価値観、考え方についてとことん話し合いました
それでわかったこと
・本人は、1日だけの参加になっても、とても楽しく、頑張って満足している
・みんなの中は、無理(とてもとても疲れる)
そして私の価値観が変わると同時に、今の学校のシステムへの疑問がでてくる
・そもそも、みんなで一つの教室で、同じ授業を受けることができなければマイナスなのか
・みんな辛い思いを抱えながら自然学校に向かうが、それを乗り換え、輪を乱すことなく過ごすことだけが評価され、そこで過ごせないことはマイナスなのか
・そもそも教室に行けない、イベントに参加しないことがマイナスになるのか
・別室で、自分で教科書を読み、今日の分の勉強をし、宿題もこなしているが、積極性がない、と通知表に△が入るのか
・図工や書写、音楽、体育などで、作品を仕上げる時に、1人で別室ですることはなぜマイナス評価なのか(それは学習ではない、と担任の先生に言われた)
→体育祭や音楽祭など、イベントは個別で猛練習し、本番は頑張ってみんなと参加し一体感を感じている娘。書道も一生懸命書けば入選する娘。
みんなと一緒に教室で過ごさないとマイナスなのは勿体無い、、
今の学校のシステムだと
みんな、当たり前にしていることができないことはマイナス
という評価を受けるから、娘はどんどんマイナス評価が積み重なってしまう
もちろん
・学校で特別に別室登校を許可してもらえていること
・課題をすれば好きに過ごさせてもらえること
本当に感謝しかないです😭✨
そのおかげで、今学期は、教育センターもお世話になりながらも、送り迎えをしながらも、朝から最後の時間まで学校で過ごせている👏
絵も描き続け、自分の書いた絵を動かしたい!とアプリを取り入れ勉強している娘
ホロライブという大好きなものに出会えて
ホロライブに入りたい!と目標ができた娘
→そのおかげで、ホロライブに入るなら、不登校でも勉強・知識はものすごく必要だ、ということを実感して、気合いが入った娘
こんなに前を向いてできることが増えている娘
お昼ご飯はみんなと一緒に教室で食べている娘
喫煙についての特別授業はクラスで参加した娘
→知識をモリモリつけて楽しんだけど、お昼でお迎え、からのお昼寝してしまうほど疲れていた娘
できないことでマイナス評価するのは悲しい
できること、取り組めること、色々あるのに、、
学校というシステムは、ずっと変わることなく、本当にこのままで良いのでしょうか
娘のような凹凸や繊細さを持つ子どものことも
良さを認めて伸ばしていける
こんなことを学校に求めてしまうのは欲張りなのかな、、
こんなことを考えながら、
心理学を4月から本格的に勉強しだしたアラフォーシングルマザーです✏️
ここに心の声を残してみる