マック佐藤の気になる一言

マック佐藤の気になる一言

横浜のマック佐藤が生活で気が付いたことや気になる事をつぶやきます。


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今日4月29日は『昭和の日』であり、ご存知の通り昭和天皇が生誕された日です。

 

昭和生まれの私にとっては昭和は正に青春時代を謳歌した頃でもありました。

 

高校卒業にプロレスラーを目指して全日本プロレスに入門し、夢にまでも見た世界でしたが、現実とのギャップで何度も涙し、それでも必死になってひたすらプロレスラーを目指して頑張っていました。プロレス引退後は当時物凄い勢いのあった骨法武術館に入門し、指圧学校に通いながら毎日汗を流していました。

 

私にとってプロレスと骨法武術を経験した事はとても大きな経験したことが今でも人生に生かされています。

 

昭和は正に幼少期から青春時代を過ごして、私にとってとても充実した時代でもありました。

 

そして平成の時代に入ってからは昭和の時とはうって変わり、波瀾万丈の激動の時代でした。

プロレスと骨法を断念してからの私の人生は路頭に迷ってしまい、様々なアルバイトを経験しながら自分の生きる道を模索していました。

 

そんな路頭に迷っていた中で何故か韓国に興味を抱くようになり、1993年(平成5年)に渡韓し、韓国では新聞配達をしながら5年間韓国に住んでいました。

 

丁度その時に韓国の女性と知り合い、その女性と結婚しましたが、日本に帰ってきて結婚生活をしていましたが2000年(平成12年)に離婚しました。

 

そして2013年(平成25年)にてんかんの発作がおこり、2回も病院送りをしました。1回目はボランティア活動をしている事務所内で、2回目は当時アルバイトをしていた整骨院でいきなり発作が起こり、気が付いたら救急車の中でした。

 

更に丁度3年前の2016年(平成28年)が直腸癌が発覚し、そして昨年の2018年(平成30年)に命懸けの手術を行い、今日を迎えました。

 

正に私にとって波瀾万丈に満ちた平成の時代は明日で終わります。

 

激動の昭和・平成時代を得てから明後日5月1日は令和という新しい時代が始まります。

 

この令和という時代が私にとってどんな時代になるかは分かりませんが私のモットーとしている『いかなる事でも全力で精誠を尽くす。』ことを忘れずに新しい時代を突き進んで行きたいと思います。


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,今日は母の四十九日法要が行われました。

 

もうあの母の死から40日余りが過ぎた事を思うと時の流れの早さを感じせざるを得ません。

 

母が再入院してから母が他界する日が近い事は心構えていましたが、まさか入院した翌日に亡くなるとは思いもしませんでしたので母が突然亡くなった時は流石にショックを隠すことは出来ませんでした。

 

しかしながら最後まで生き続けた母の生きざまに感動し、何とか通夜と告別式は悲しみの思いではなく、喜びの思いで母を無事に送ることが出来たのは私にとって最後の親孝行ができたと実感しています。

 

そして今日母の四十九日法要が終わり、私も要約落ちつた感じがします。

 

思えば今から3年前の5月に癌が発覚して私自身常に『死』を意識していました。そしてその時「母よりも先にあの世に行ってはならない!」と自分に言い聞かせて過ごしてきました。

 

特に昨年の今頃から夏場にかけては私にとっても正念場でもありました。というのは直腸癌特有現象である『便秘・体重減少・倦怠感』が如実に出始めていましたが当時仕事を休む事が出来ず、疲労度は日々を追う事に積み重なり、そのような状態であったのですが丁度昨年の今頃から母が幻覚症状が起こり、念のために母の脳検査をしたところ、脳が萎縮していていてレビー小体型の認知症という診断が下されました。

 

具体的には母にとっては私が二人いるみたいで「もう一人の誠はどうしたの?」とか、9年前に亡くなった父でしたが「さっきお父さんから電話があったよ!」というような事も、言い始めてきたのです。

 

そのような母でしたが持病であった肺の病気が悪化して6月に入院し、8月にも入院しました。その頃には私も癌の進行が酷くなり、遂に夜腹痛で悶絶するようになり、母の介護と私の病気で昨年の8月末で仕事を辞めざるを得なくなりました。

 

母の介護だけならばまだしも、私も闘病生活を送らなければならなかったので正直肉体的にも精神的にも辛かったですね。

 

当時の母は、家の事は殆どが出来ず、私が炊事・洗濯・掃除・買い物・ゴミ出しなど家事は私がやらなければならず、更に母を病院に連れて行ったり、当時の母は歩行も危なく、何度か夜に転倒したこともあったので母のリハビリもしていました。

 

そうのような日々が続くうちに私も自らの命の危険性を感じ、癌発覚からいくつかの代替治療を試していましたが遂に癌の進行を止めることができず、遂に手術を受ける事になり、私が入院している間は母を施設に預けました。

 

手術は集中治療室での大手術でしたが見事手術は成功し、そのまま約1カ月入院して要約退院したかと思うときや入れ替わるように母が救急車に運ばれて3回目の入院となり、年末に母は退院したのですが私の体調のこともあって母の面倒を見ることが難しかったことから母を施設に預けるしかありませんでした。

 

しかしながら母が入所していた施設内にインフルエンザ患者が発生し、3月末日まで面会謝絶となってしまい、そのような状況で2月11日に母がまたしても救急入院となり、そして入院した翌日にあっけなく亡くなってしまったのです。

 

そのように私と母の壮絶な日々でしたが、今日無事に母の四十九日法要を終わることができました。

 

私自身も最近では大分落ち着いてきましたし、母もさぞかしあの世で安心してすごされているのではないかと思います。

 

 


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今日は大腸がん手術からちょうど5カ月がたちました。

 

癌が発覚したのは3年前でしたが手術はせずに様々な代替治療を通じて治療を行っていました。

 

ビタミンCの点滴治療、免疫治療、温熱療法など治療をしてきましたがそれでも根本的な治療には至らず、漢方医でもある外科医の先生のところへ紹介されて漢方薬を処方されて飲んでみましたが、癌の初期の段階だと漢方薬や食事療法などで治療は可能だが、酷い便秘になり、腸閉塞の可能性があるとの事でその外科医の指示で手術する事になったのですが、やはり親から頂いた体にメスを入れるのは決意のいることですが、『生きる』ために手術を選択しました。

 

手術は集中治療室で行われて5時間に及ぶ手術と約2日間の昏睡状態から手術は成功し、そして退院後は10Kgもおちた体重が日々のリハビリとプロティン等の栄養摂取で体重が6Kg戻り、今は体調もとてもいいです。

 

手術後のリハビリを進めて行くなかで先日母が他界し、精神的にも大変でしたが母が他界してからちょうど3週間が経ち、今では精神的にも大分落ち着いてきています。

 

このまま体調が良好でいるならば恐らく5月ころには人工肛門を外す手術が行われると思います。

 

なんでも人工肛門を外した直後は肛門括約筋が機能していなかったので失禁する可能性があるのとのことで、肛門括約筋を鍛える目的で肛門を締める運動も行っています。また手術後は体重が落ちることは目に見えていますので今は出来るだけ体重を増やすように努めています。

 

今までさんざん地獄を経験してきましたが持って生まれた運命を超えたことを実感し、身も心も完全復活を成し遂げて行くつもりです。


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今日無事に母の葬儀が終わり、ちょっと安心した感じでした。

 

事が起こったのは11日の朝でした。

 

それまで母は施設での生活を続けていたのですが、11日の朝施設から「お母さんの体調が悪化したので救急車を呼びます。」という電話があり、イベント参加の予定をキャンセルし、急遽母が入院している病院に向かいました。

 

病院に行きながら自宅の近くに住んでいる叔母と姉にも連絡し、お二人も急いで病院に来てもらうようにしました。

 

私が病院に着いた時の母は酸素マスクをつけてとても苦しい状態で、主治医からも「レントゲンの結果、肺がかなり弱っていて延命治療の施しようもない状況ですが様子を診ながら治療に入ります。」と言われ、いよいよ母の死が近づいた事を覚悟しながらも母の様子を見守っていました。

 

そして救急搬送された部屋から一般病棟に4回目の入院が決まり、入院手続きを済ませて母のいる病棟に行き母の様子を伺うと先程よりも苦しみから解放された感じでした。

 

その時に母は何とか私達と会話ができるようになり、叔母と姉の手を握りながら「暖かい手だね!」と言って喜んでいた様子でした。

 

そして叔母と姉が自宅に帰り、私も母の着替えを持ってくるために一度家に帰り再び病院に戻って母の着替えを病室の棚に入れている途中で母は認知症も患っていたので私が誰だか分らなかったみたいだったので「誠だよ!お母さんの息子の誠だよ!」と話すと要約母が理解した様子で「あ~誠かぁ!私頭がおかしくなっちゃった!」と話したのですが、それは正に最後の私との会話になるとは思いもよりませんでした。

 

その時母は最後の力を振り絞っての会話でした。

 

母は昨年の5月ごろから認知症の症状が出始め、脳の検査をしたら脳が萎縮していました。

 

そんな状態であり、そして肺がかなり弱っていて体重が何と27Kgしかない状態でありながら必死に力を振り絞っての会話を交わし、私は自宅に帰りました。

 

そして翌日の朝、いきなり病院から電話があり、「もう本当に危ないから直ぐに病院に来てください。」との事で前日同様に急いで準備し、叔母にも連絡して病院に向かいました。

 

私が病院に着いた時は既に母の心臓が止まっていましたが、叔母が病院に到着してから死亡確認をする事になり、叔母が病院に着くや否や主治医が来られて死亡確認がとれました。

 

母の死を覚悟していたとはいえ、まさか入院した翌日に亡くなるとは予想もしなかったので物凄い衝撃が走り、その日の晩は眠れませんでした。

 

実は最後は母を喜んであの世に送ってあげようと思っていたのが、いきなりの死でどうこの感情を抑えることができるのか?という苦しみ、そして涙を止めることが出来ませんでした。

 

しかし母が最後に私と会話の状況は、本当に最後の力を振り絞ぼっての私との会話であったので、それこそ侍魂だと思い、凄い母だったことを実感せざるを得ませんでした。

 

思えば母は戦前・戦時中・戦後と激動の時代を生き抜き、そして私と姉を育ててくれたその力は物凄く、尚且つ渾身の力を振り絞って私と会話をしたという母の生き様は正に侍でした。

 

そんな凄くて偉大な母を息子として最後の精誠として昨日の通夜と今日の葬儀を悲しみの思いでなく、喜びの思いで送ることができたと思います。

 

改めて偉大な母に捧げます。『お母さん!84年間一生懸命生きて下さり本当にお疲れさまでした。そして有難うございました。お母さんの息子であることを誇りに思います。』

 


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今日恥ずかしながら話題の映画『ボヘミアン ラブ ソディ』を見てきました。映画

 

私毎で恐縮ですが、昨年は私にとって最大の試練とも言うべき大腸がんの大手術を経験し、正に九死に一生を得て今再び生きていることに何よりも感謝の思いでいっぱいです。ニコニコ

 

そして様々な経験を通じてより自分自身の感性を磨こうと思って年を明けたのですが、その一つの事として今日要約話題の映画『ボヘミアン ラブ ソディ』を観てきました。目

 

この映画は伝説のバンドである『クイーン』のボーカリストのフレディ・マーキュリーの生きざまを主に描いた作品であり、フレディ・マーキュリー

がバイセクシュアリティとして生まれ、その内なる心の葛藤を抱えながら悩み、苦しみ、それに伴うメンバーとの衝突や恋人から別れ、そしてエイズという難病を背負いながら人生を歩み、そして悲しいかな彼は自らの運命を乗り越りえることが出来ずにこの世を去りました。しょぼん

 

運命という人生のレールが敷かれ、そのレールの上を走る事しかない人間の運命とは何とも空しく切ない事だと感じざるを得ませんでした。目

 

しかしながらフレディ・マーキュリーはの自らの運命に逆らうことなく、完全燃焼しながら人生を走り続けたのではないかと思います。グッド!

 

私も同様に運命というレールに逆らわずに今を生きているのですが今まで信じられないほどの試練という峠を乗り越えてきました。かお

 

中学生の時に柔道部に所属していたのですが、柔道の稽古中に受け身の失敗で頭を強打して大怪我をした時や、プロレスの時にウエスタン・ラリアートをもろに受けて頸部損傷という怪我をしたり、その後韓国で生活をしていた時に極度の精神疾患を患い、それによって死の直前までなったり、また当時韓国の女性と結婚していましたがある事件に巻き込まれて泣く泣く離婚せざるを得なくなったり、日本に帰国後にてんかんの発作で2回も救急車に搬送され、そして3年前に大腸がんが発覚して昨年10月の大手術を受けました。病院

 

このような人生を歩んできましたが、通常ならば死んでもおかしくない人生ですがそれでも生きていることに自分になにか大きな使命がある事を痛感せざるを得ません。

 

人生において再び蘇った私の今年は、『頑張れMAKOTO!チャレンジ2019』というふうに様々な人と会い、様々な経験や未体験の事に挑戦しようと思っています。メラメラ

 

そして人生を歩んでいく中で命の尊さや生きる大切さをより多くの人に伝えたいと思っています。チョキ


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 昨日で直腸がんの摘出手術からちょうど2カ月が経ちました。かお

 

 思い起こせば手術した時の状況が悪夢のごとく蘇ってきます。叫び

 

 本来手術は10月11日に行う予定でしたが、5日に内視鏡の検査のために前日である4日に胃腸を空っぽにする目的で下剤を服用してからその悪夢が始まりました。

 その深夜から腹痛が始まり、そしてトイレに行く度に疲労が増し、挙句の果てに嘔吐もする始末で状況を見られた主治医が緊急手術に踏み切ることをし、5時間にわたる手術を終えて現在に至っています。

 術後は一時的ですが人工肛門を装着し、リンパにも転移しているとのことで現在抗がん剤治療を行っていいます。病院

 抗がん剤治療は6カ月間様子を診ながら行い、恐らく癌の再発がなければ人工肛門を取り外す手術になるのではないかと予想しています。

 

プロレス時代は85Kgもあった私の体重は60Kgまで落ちてしまい、今の姿を鏡でみるととても貧相に見えてきます。ショック!

 このような体ですから体重を増やすためにリハビリテーションを毎日行っていますが何せ術後2カ月しかたっていないのであまり無理な動きは出来ず、体と相談しながら少しずつ運動をしています。目

 最も手術直後でも少しずつリハビリテーションとして1時間ごとに病院の廊下を歩き、更にリハビリテーションルームではとても術後の患者とは思えない程エアロバイクはかなりの負荷をかけてやっていましたので周囲の先生やナースを驚かせていました。えっ

 今は減少した体重を元に戻すために両足に1.5Kgのパワーアンクルと500gのパワーリストを身に付けながら毎日1時間歩き、更にスクワットやブッシュアップなどの運動を行い、プロティンとビール酵母の摂取も行っています。走る人

 

 お陰様で体調はとてもいい状態ですが、それと同時に生きる喜びを実感しています。ほっこり

 今までの私は常に自分の生き方に対して満足いかず、『虚像』という理想を追い求めてきて、常に自分の限界を超えてきたことが逆に体を痛めてきたことを実感し、 とにかく今は体にあまり負担を掛けず無理せずに完全復活をしていきたいと思っています。筋肉


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早くもあの地獄の日から1週間以上が経過しました。

 

私が直腸癌の手術のために10月2日に入院し、心の準備期として約1週間設けて11日に手術する予定でした。

 

それまでは母の介護などで心身ともに疲れ果てていましたので私にとっては疲労回復の時でもあるからこの際のんびりしようと思い、病院内でもWi-Fiがあるのでパソコンを用意して病院内でもDVDを見たり、動画をみたり、また看護師とも仲良くなり、非常にリラックスしたひと時を過ごしていました。

 

そして入院から4日目である5日に内視鏡を撮るためにその前日である4日の夜に下剤を服用したのですが、それが地獄の始まりでした。

 

その日の深夜2時ごろに急にお腹が痛くなり、トイレに行ってきたのですがお腹の痛みは一向に治まらず、ナースコールを押して看護師を呼んで事情を説明すると、『下剤の効果で腸が動いている。』と話され、私もその通りだと思っていました。

 

ところが腹痛はより以上ましてますます痛くなり、トイレに行って帰ってきてはベッドではうずくまる様になり、腹痛どころか頭痛も増してきて、トイレにに行く度にトイレの中でうずくまる様になり、しまいにはトイレの中で嘔吐する始末でベッドには横にならず看護師が車椅子を用意し、いつでもトイレに行くことが出来るように配慮して下さいました。

 

トイレに行けば行く程気分は悪くなり、トイレに出てはフラフラの状態でした。

 

何度かトイレに戻ってきてから一端ベッドに横たわったのですが、ベッド上で吐く始末でさらに雄叫びを上げるようになり、正に地獄のどんぞこでした。

 

夜が明けてからも腹痛が治まらず、主治医の先生が来られて『このままでは命が危ないから緊急手術をします。』と発言されてそのまま集中治療室に入って手術をすることになりました。

 

手術室に入って麻酔のマスクをつけるまでは覚えていたのでが、目が覚めて気が付くと手足が縛られている状態でした。

 

看護師の話によると、術後に暴れるかもしれないので手足を固定していると言われたのですが、その姿は正に仮面ライダーの本郷猛が改造人間にされるために手足を縛られている状態でした。

 

そして看護師から『今日は何日だかわかりますか?』という質問をされたので『6日の土曜日ですね。』と答えたら『7日の日曜日の朝ですよ!』という返事がかえってきて来たのでとても驚きました。

 

それから医師に尋ねると、手術は非常に困難な状態で腹膜炎も患っていて、本来無菌状態である腸が破裂して腸内に雑菌が混入し、血圧が70まで下降していたのでひたすら血圧上昇の薬と血液を奇麗にするために人工透析もしていたらしく、手術が5時間かかったとのことです。

 

術後から約2日間昏睡状態で気がついたのが翌々の朝でしたからいかに危険な状態であったかを物語っています。

 

今はすかっかり回復し、毎日リハビリテーションを続けながら要約今日体に繋がれていた点滴等の管が外れましたが、あの魔の14時間は地獄の時間でしてまさに地獄からの生還という感じです。

 

見事蘇る事ができましたが、あの地獄の体験は2度と経験したくはないですね。

 

これは生かされていることを実感し、生きていることに感謝の気持ちでいっぱいです。


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ブログ更新が約10ケ月も更新しませんでしたが、要約重い腰を上げて久しぶりにブログを更新しました。かお

 

実は2年前に大腸がんが発覚してからは意欲が無くなり、何もしたくない状況が続いていました。ショック!

 

それでも生活をしていかなければならず、無理やり仕事に挑んでいたような気がしました。叫び

 

誤解されては困るのですが、マッサージ関係の仕事は嫌いではなく、仕事を通じて様々な人と出会い、そして交流が出来るのは自分自身の成長にも繋がり、勿論技術的にも物凄く向上したという実感がします。ベル

 

マッサージ関係の仕事をしてから30年が経ち、振り返ってみますと老若男女や年齢に関係なくこんなに多くの人と出会い、一人一人の心の奥深いところまで踏み入れることが出来るのは数多い職業の中でもマッサージ関係や整体などの仕事しかないのではないかと思います。サーチ

 

かつては小指の無いヤクザが患者として来られたことがあったのですが私は普通に接客してパンパンに張り詰めた背中をガンガン指圧したら、そのヤクザの患者さんは悲鳴をあげながら私の施術を受けた事もありました。にひひ

また元首相とか何人かの著名人や芸能人のマッサージもしたことがありました。グッド!

 

このように普通では出会えない方々と施術が出来たのは私の誇りでもありますが、反対に挫折したことも何度もありました。ガーン

 

ある整体治療院で働いていた時に患者との接し方が悪いという理由でいきなり解雇されたこともありましたし、患者さんからのクレームを食らったことも数多くありました。しょぼん

 

そもそも私がマッサージ関係の仕事をするきかっけは、東中野にある骨法武術館に入門した時に武術館の館長であった堀部先生から『骨法整体を教えてあげるから医学の知識を学ぶために医療系の専門学校に進学してみたら!』という推薦を受けて文京区にある日本指圧専門学校に進学し、学問と武術を学ぶ生活をしていて、学校を卒業し、晴れて『あん摩・マッサージ・指圧師』の国家資格を取ってからこの仕事に就いたのですが、最初は正直言ってマッサージ関係の仕事は嫌で仕方がありませんでしたが仕事をして行く上でマッサージ関係の仕事が好きになり、今日まで至りました。時計

 

しかしながら3年前に急にてんかん発作が起こり、2年前に大腸がんが発覚してからは肉体的にも精神的にも辛くなり、何とか仕事をこなしてきましたが、今年になってから母がレビー型の認知症になり、、更に追い打ちをかけるように肺病を患って起き上がるのがやっととなってしまい、母の介護をしなければならない状況になってしまったのです。ガーン

 

ですから私自身も2つの病気を抱えながらも母の介護及び家事は私がやらなければならなくなってしまいました。家

 

さすがにプロレスや格闘技で鍛えた頑丈?な肉体を持っている私でも2つの病気を抱えながらの仕事と家事の両立は肉体的にかなり疲労が蓄積します。

 

そこで今回母の介護及び家事をしながら自らの肉体の静養をする事を決め、調気堂の業務及びマッサージ関係の仕事を辞めることにしました。

 

尚調気堂としては整体マッサージ関係の業務は本日を持って終了し、しばらくは『調気堂 佐藤誠の部屋』として様々な活動をお伝えする場になりました。

 

今は30年間マッサージ関係の仕事をやり切った感じで、思わず『燃えたよ!何もかも!真っ白な灰になったよ!』ってつぶやいてしまいまいました。(笑)

 

 


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 それは昨年の4月下旬の時でした。叫び

 用を済まそうとトイレに行った時にいきなり便器が真っ赤に染まってしまい、一体何事が起きたのか訳の分からない状態になってしまったのです。ショック!
 不安な気持ちが脳ミソをよぎり、翌日横浜で肛門科で有名な病院に行き、内視鏡の検査をした結果、悪性腫瘍の疑いがあるので大きな病院で精密検査をした方がいいと言われてしまいました。ガーン
 そう、既にこの地点で癌であることがほぼ明らかになったのですが、正に目の前が真っ暗になってしまいました。えっ
 そして紹介状を書いてもらい、神奈川県立癌センターに行って精密検査をする事になったのですが、正に地獄の状態と『死』に対する恐怖感が私を襲ったのでした。ショック!
 精密検査は、尿検査と血液検査を行い、CTスキャンと胃カメラの検査をしました。病院
 話は前後しますが、過去に私は2回程胃カメラを飲んだことがあります。最初は全日本プロレスに所属していた時に厳しい練習と精神的ストレスが募り、毎日練習後に吐いてしまい、18歳の若さでバリウムと胃カメラ検査をしました。男の子
 2回目は離婚直後にやはり毎日のように吐いてしまい、胃カメラ検査をせざるを得ませんでした。ガックリ
 そして今回3回目の胃カメラ検査をする事になったのですが、今回が一番苦しかったです。 叫び
 その苦しみは言葉には表現できず、吐きたくても吐けず、身もだえし正に地獄絵図でした。胃カメラ検査の時に感じたことは、中世のヨーロッパで体を固定した状態で水を絶えずなく飲ませる拷問『水攻め』を思い出し、正にこのような拷問を受けて死んでしまったと思われます。!!
 地獄の検査を終えて出た結果は『直腸癌ステージⅡ』であり、担当医はあっさり手術の手配をして来ましたが私は断りました。かお
 と言うのは、手術して完全に治ればいいのですが、手術しても再発する可能性もありますし、例え手術しても後遺症は必ず出て来ますし、その他の治療方法も体に負担が係りやすいことを考えますと代替治療で治すことを決めたのです。目
 代替治療で治すと言っても具体的な方法が分かりませんでしたので、できる事は可能な限り行って見ました。グー
 まずは末期癌専門?クリニックというところを紹介され、試して見ました。病院
 ここのクリニックから提供された癌専門のドリンクと軟膏を試してみると、ある日大量の血便が出たのですが、それは体内に蓄積された癌細胞が壊れて一挙に体内から放出されるのでいい兆候だと説明されたのですが、直腸癌特有の低体温・倦怠感・便秘の症状があまり改善された実感がなく、断念しました。NG
 次に高濃度ビタミンCの点滴治療を施して見ました。
 ビタミンCは抗酸化作用が高く、実際癌治療にも使われているクリニックもあるので期待していました。OK
 確かにビタミンCの点滴治療は効果があったような気がして、何と血液検査とCTスキャンでは癌反応がなくなっていて、医者もビックリしていました。えっ
 そして最初に癌が見つかった病院に行き、再び内視鏡検査をしたところ、残念ながら6ケ月前とはさほど変わらない状態らしく、ちょっとショックでした。かお
 あとは自分なりに治して行くしかなく、癌は血液細胞の異常変化が元となり、また癌細胞は熱には弱いのでたんぱく質を始めとした食事療法と温熱療法を行うことをしました。走る人
 まず食事療法ですがたんぱく質を大量に補給するためにプロテインを飲むことにしまた。ぶーぶー
 プロテインは体重増加の為にプロレス時代に飲んでいたのですが、まさか再びプロテインを飲むとは思いませんでした。時計
 その他にもビール酵母とスピルリナも服用する事を決めました。
 ビール酵母はミトコンドリアが多く含まれているらしく、癌治療には効果的との事です。またスピルリナは緑葉色素が豊富で、海の野菜とも言われています。波
 これらのサプリメントは安価でありながら効果は絶大らしく、実際に服用していると癌特有の疲労感が無くなる気がしますが、時折便秘症になりやすいので、プラスゴボウ茶とどくだみ茶を飲むようにしました。
 そのせいか、便秘症が改善され、多い時は一日4回も便が出ることもあり、また基礎体温平均36.5℃にもなりましたね。うんち
 しかしながらいくらか楽にはなりましたが、不安な思いなど否定的な考えは全く消えたわけでもなく、精神的な部分が一番大きいのではないかと思います。!?
 昔から『病は気から。』と言われているように、どんなに素晴らしい治療方法であったとしても心が病んでいては効果が半減してしまいますからとにかく精神的に自分自身に負けてはならないことを意識し、その思いが継続するように努めました。グー
 今までかなり健康に関しては自信があり、食事と運動と休養の健康三原則を守っていまして、逆に健康過ぎて無理をしてたかも知れません。得意げ
 何故自分が癌になってしまったのか?と様々な角度から考えて見ました。
 その時に以前カルマの話を聞いたことがあったのですが、ひょっとしたらそこに原因があるのではないかと思いました。ビックリマーク
 そこで癌についてのカルマを探してみると、癌は血液細胞の異常であり、血液細胞=血統と言うキーワードを発見することが出来ました。
 私の過去世、即ち前世を考えて見ますと、私の姓が『佐藤』と言うことで日本で最も多い姓になりますが、姓が多いと言うことは血統を残すためにどれだけ多くの女性と関わり、そしてその女性達を苦しめたかと思います。女の子
 その女性達の苦しみを思うと、涙流さずはいられません。しょぼん
 『佐藤』は藤原家が分派したのですが、藤原家が日本の武士社会を作った源ですし、私の先祖は鎌倉時代に源氏を補佐する役割で、私自身いくつかの武術・格闘技を行って来たことも関連があるのではないかと思います。むっ
 このようにいろいろと考えたのですが、では今後具体的にどうすればいいのかをと自問自答した時に、とにかく物事を考えたり、行動する時に何よりも肯定的に思い、喜んで感謝して謙虚な日々を送って見ようと決意しました。
 そのように過ごすことによって実に様々な思いがしましたが、全てが自分自身を成長させてくれるために癌になったのではないかと思うと、とても気持ちが楽になり、癌にならなければ分からなかったことを知ることが出来なかったので、『癌に感謝』という感じで癌細胞に言いきかせています。ニコニコ
 その結果かどうか分かりませんが、今は癌特有の体重減少もなく、食欲もあり、体温も基礎体温を維持し、便通もあり、疲労感もなくなっています。グッド!
 今後どうなるか分かりませんが、とにかくやれることは全て行い、あとは天命に任せます。富士山
  こんな私の現在ですが、今生かされていることを実感し、日々感謝の気持ちで過ごさせていただいていますので、少しでも癌を患っている方々に参考になれば嬉しいですね。ニコニコ
 

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私達が生きていく中で『お金と経済』は必要不可欠ですが、そのお金の扱い方及び使用方法に疑問点を感じざるを得ない気がするのです。お金

 
本来お金とは私達の生活を豊かにしてくれるものですが、そのお金の力で私達の生活や人生が支配されているのではないかと思われます。叫び
 
と思うのは、人体の健康を無視し、あまりにも利益追及型の企業が多い事です。注意
 
それは嘘偽りの表示がされている食品や化粧品や日用品とかを見るととても悲しく思います。しょぼん
 
また企業ではノルマ達成のための過酷な販売や営業のためにストレスで、病気になったり様々なトラブルの原因にもなっていますね。病院
 
またスマートフオンなどの出現でとても便利になりましたが、その分携帯の維持管理費はガラケイより遥かに懸かります。携帯
 
その他にも銀行に預けていた自分のお金を降ろすだけでも手数料が懸かるのも考えて見ればおかしな事ですし、物を買ったり食べたりするだけでも税金が懸かりますね。ATM
 
私達は仙人のように霞を食べて生きているのではなく、現代社会で生きていく中でお金はとても大切ですがあまりにもお金に支配されているこんにちを見渡して見ますと、正しいお金の使い方や在り方について考え直す時に来ているのだと思います。¥
 
 
 
 

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