2018年11月14日 | fish chips cigarettes

 

 「音楽は自由だ。」

この言葉の、音楽の“自由”は“表現”を指すのだろうと私は漠然と認識していた。個人的な想いから政治的な思想、或いは空想の物語を作ることまで。

 日記を書く習慣をつけてから前にも増して物事をよく考えるようになった。朝の通勤時間に、仕事の合間に、帰路の間に、眠るまでの間に。大体はネガティブなことなんだけどね。
例えば今日の駅から家までの帰り道の間に、小さな男の子とそのお父さんがお揃いの洋服を着て、手を繋ぎながら二人で帰っているのを見かけたのだけれど、それを見て父親と家族であった頃のことを思い出したり、将来自分が父親になったら、この親子のようにいられるのだろうかと考えたり。子供が欲しいだなんて思ったことはないのだけれど、むしろいらないのだけれど、ただそれでも想像をしてしまったのだ。悪くなかった、うん、全然悪かあないねえ。ただ、だからこそ少し悲しいと感じた。

 私は多分、元々考え癖が少しすぎるのだろう。しかし考え癖がすぎるからこそ、少なくとも育児放棄をしてしまう親よりも自分のことが見えていると自負することができる。子供がもしできても、私は子供を育てるための環境を整えることはできないだろう。それは経済的な面、精神的な面、生命的な面、あらゆることの将来性、親というものの適正度合いを考えてのことだ。だから子供はいらない。

 

 近年の施設へと送られる子供たちの原因をご存知だろうか。ほぼ親の育児放棄、虐待だ。5、60年前までの原因で一番多かったものは経済的原因。当時は虐待や育児放棄が原因で施設育ちになる子供たちは現在ほど多くはなかったのだ。国で提出されている資料を見てもらえればわかるが、現在と昔とでは親の精神的な成長不足による育児放棄が断然多くなっている。
 また、施設では数人の職員が10名以上の子供たちの世話を24時間交代で見ることになっている。この職員不足も、なかなかメディア等では取り上げられていないが問題となっている。職員はその多忙さから子供たち一人一人に真剣に愛情を注いでやることが難しい状況なのだ。
施設育ちの子供たちの大学進学率は一般家庭が約50パーセントなのに対し、10パーセント程度だ。彼らの多くは高校を卒業と同時に施設を離れ、就職をし社会へと出ている。しかし、人の顔色を伺いがちな彼らは就職をするものの定着率が良くなく、職を転々とする人たちが多い。
もちろん、これは私個人がそれぞれの状況を調べたわけではなく、あくまでも資料上での話でしかないが、しかしどうだろう。個人差だ、で済む話ではない。

 

 話は脱線したが、私もまた近年の育児放棄をしてしまう親と同じ側の人間なのだ、と言いたかった。実際に子供ができれば変わるよ、なんて言われることも少なくはないが、実際全国的に上記の事態が増えているということを考えれば、私もそういった親になる可能性は十分に有り得る。いや、間違いない。これは必ずやってくる未来だ。だからそう簡単に言えたことではない。
さらに恐ろしいことに、もし私が子供をつくって育児放棄をしたとしよう。私は適当にその辺から上手に言い訳を拾い、取り繕って、その罪を綺麗さっぱり過去のことへと水に流すことができてしまう。私は本当にそういう人間なのだ。卑下しているわけでもなんでもなく、紛れもない私の人間性の真実である。

ただ、そう、だからこそ、だからこそ悲しかった。それでも少し、ほんの少しだけ憧れてしまったのだから。そして、もし今の私とは違う人間性の私で今を迎えることができていたら、と今の自分を悔いてしまったのだから。後悔なんてものにはなれているのだけれど。へへへ。

 

 そのような感じで私は仲の良い親子を見ただけで、思考がそこら中に張り巡らされていたのだが、一旦それらを断ち切った後に音楽を聴きながら帰路に着いた。最近はもっぱらジャムバンドやらジャズやらエレクトロニカ(Telefon Tel Avivとか静かな方ね)を聴いていたのだけれど、久しぶりに歌が入っている音楽を聴いた。人の声が入っていない音楽というのは物事を考えるのに過ごし適しているが、人の声が入っているとつい心の中で口ずさんでしまう。考え事ができないってこと。どうしたって歌の方に意識を取られてしまう。でもね、ふと思った。これが音楽の“自由”という要素なのかもしれないと。


 考え事をしているということは、世界のあらゆることに縛られていて、自分の世界に囚われているということで、考え事をしていないということは、頭が空っぽだということ、つまりそれは何にも縛られていなくて、囚われていなくて、つまりこれこそ自由なのだと。昔から音楽は自由だと誰かしらが言っているけれど、それってこの自由も含まれているのではないないだろうか。

 

そんなことに気が付いてしまった夜なのです。うーん、どうでもいいなあ。