続きです。

それから、毎日起こしては学校へ車で送る日々が続きました。

朝も、自分でいく素振りを見せて結局行けなくて私が、送って行き、仕事をしていたのでその時間に間に合わなくては…というストレスも感じていました。

頑張れば頑張るほど、娘が嫌がり、私は娘の気持ちをわかろうとしませんでした。
元うつ(現心療内科通い)で、メンタルも弱めだったので、治りかけだった病も再発気味になり、朝が辛く、起きれなく毎日が憂鬱でした。

そうすると、どんどん朝の時間が無くなってしまいもっと余裕が無くなっているのに気づいていませんでした。

そのうち、私の中で、「無理矢理連れて行っても、嫌がったりするならもういっそ行かない方が」「義務教育だし、勉強も遅れてしまうからやっぱり行かせなきゃ」という、葛藤が始まりました。

その頃、息子も学校を少し休むようになりました。「お腹が痛い」と。

何回か、続くと校長先生から「できたら、学校へ連れてきて下さい。」との事でした。

私の中で産まれたのは、何故娘の時には言われなかったのに息子の時に言うんだろう。という疑問でした。息子はこのとき小学1年生。

同じ日、私はスクールカウンセラーの先生と初めてお話をした後に呼び出されたのを鮮明に覚えています。

結局、カウンセラーの先生のお話よりそちらの方が、気になってしまいました。

五年生になり、本格的に学校へ行かなくなった娘。週に1回〜2回行事があれば行くという感じでした。

私はなんとか連れて行く日々に疲労していました。
そんなとき、友達に相談すると「そんなに無理して学校行かなくていいんじゃない?」とアドバイスをもらい、私の気持ちは、少し軽くなりました。

いろんな人に相談はしてはいましたが、「勉強遅れるでしょ?」「学校へ行かないのに、なんで習い事は来れるの?」「無理矢理玄関に放り込んで、くればいい」などの、答えしか返ってきませんでした。

習い事をしていたし、その習い事は楽しいそうで毎週通っていましたが同じクラスの子もいたので娘もそう言われるのが嫌がるようになり、習い事も行きたくないという事もありましたが、ポロっと習い事の先生に娘が不登校の話が、聞こえたのか先生は「学校行けなくても、こっちにはきてもいいから!」と言ってくれました。
その頃には、クラス替えがあり一緒に習い事をしていたお友達も違うクラスになったので、言われることはほとんど無くなりました。

その時は、なんとか数日は通えていたもののまた学校へ行かなくなりました。

私も朝の送りに疲れてしまい、「そんなに辛いなら休めば?」とついに言ってしまいました。
最初は、一人で日中留守番は心配でしたが、数日たてばもう慣れてしまいお願いするとすぐではないですがしてくれるようになりました。
洗濯干しておいてなど、簡単な事でしたがしっかりやってくれる娘に驚きました。

この頃、心身共に疲れていて私は元からヲタクという事で某声優さんにハマってしまい、出てる作品やCDを中古でも買う事でストレスを発散させていました。
もちろんシングルマザーでうつだった私の復職先は正社員ではありませんし、パートで時給も安かったので毎月大変でした。

自分の為に、お金を使いたいと思うようになり娘のちょっとした頑張りに気付いてあげられなくなっていました。
むしろ、どんどんお金への執着が酷くなっていったのもこの時です。
学校へ行かなくても学費は必要。低所得者の援助を頂いても、一度は払わなくてはいけない。行けない学校から教材の申し込みの用紙。高くはないけど安くもない微妙な金額も、惜しむようになりました。
それに対して、娘に当たる事もしばしば。


立派な毒親の完成です。


しかし、数カ月に一回学校であるスクールカウンセラーの先生に、相談すると
「もしかすると、お母さん(私)も同じような事されて来ませんでしたか?」 

と確信をつく一言。

続きます。