父との別れ | 火事場の馬鹿力

 ご無沙汰しております^^

 

つい先日父が虚血性心疾患(心不全)で他界しました。

 

10年ほど前より不整脈があったようで毎朝血圧を記録してる姿を見てました。

 

数か月に一度定期検診行くくらいで定年してからは近所の放置してる畑で野菜を年がら年中育てたり町内の役員を務め地蔵盆を取り仕切ったりだんじり祭りの実行委員を務めたりと忙しい老後を楽しんでいたように思えました。

 

そしてコロナ・・・

 

外出しなくなった父は家でごろごろすることが多くなり日々足腰が弱っていくのをみんなが心配しておりますが、一度なまけ癖がついてしまうとこれがかなり厄介。

 

心配すればするほど不機嫌になるのです・・・ お袋もお手上げ。唯一孫が来た時だけは上機嫌でしたが帰ってしまえばいつも通り。

 

そして今年の春、そんな父が重い腰を持ち上げ一人で近所のスーパーへ行ったときのことです。

 

帰宅した父は玄関で自転車にもたれかかり動けなくなってるのです。強烈な腹痛でやっと帰ってこれたと・・・

 

とにかく家に入れ温めたり正露丸を飲んでみたりと様子を見てましたが治らない。定期健診でお世話になってる病院へ行くことになり検査のため入院です。数日後、大腸癌と判明しました。

 

大腸と膵臓が癒着してしまってそこに穴が開き出血してると。手術せねばなりませんでした。

 

貧血気味だったのはそのせい。 とりあえず体力を回復させ一時的にも痛みを取る処置を施してもらいました。

 

輸血と点滴で症状は緩和されまた元気になりました。

 

父は、自分の身体は何時間もメスを入れ手術に耐えれる身体ではない。だから手術はしないと一点張り。

 

それからも家にいる父はずっと不機嫌で母は振り回されておりました。

 

病院へ行くと手術の話になり担当医へ暴言の数々。 ついには病院さえも行きたくないという始末・・

 

体力がどんどん低下しいよいよという状態になってようやく通院。そして輸血と点滴。体力回復。

 

こんな繰り返しで春から夏へと季節が過ぎていきました。

 

家族ではもう長くはないよねと腹をくくっておりました。弱りゆく父を見かねて孫たちは代わる代わる毎日のように付き添ってくれ身体を拭いてあげたり、食事を少しでも食べてもらおうと口元へ運んだりとそれは献身的な日々を刻んでくれました。

 

そう、その日も何も口にしてなかった父にコーヒーゼリーを食べさせ、温かい蒸しタオルで体中拭いてくれ父も気持ちええ、気持ちええと喜びながら横になり孫たちは帰宅し、夜の10時半に母がバナナと好きなコーヒーを父の元へ持っていきぺろりと食べたようです。

 

父は『悪いなー、おおきにおおきに』と。

 

母はその時いつもの頑固な父ではない様子が心配になり

 

『お父さんが死んだら、私すぐに追いかけるからな。』と言ったそうです。

 

父は『お前そんなこと言わんといてくれ。』と・・・

 

それから数時間後01:55に父は旅立ちました。

 

家族葬でだれにも知らせず見送る予定でしたが、いざそうなるとどこからか聞きつけた親類や友人がやってきます。

 

もう何だかんだと目まぐるしく、お葬式の手配、父からの引継ぎ、お坊さん、警察、ご挨拶と一人の人生の終焉の重みをひしひしと感じながら自分に焦らないよう言い聞かせて過ごしてきました。

 

お通夜、お葬式、初七日を無事済ませ、役所手続きや遺族年金への切り替え、土地名義変更と今は淡々とこなしております。

 

次の集まりは緊急事態宣言明けの四十九日です。

 

じいちゃんや婆ちゃんが死んだ時とは全く違う感覚です。

 

親父の口癖を毎日思い出しながら。

 

『信用なくすなよ。』と。

 

親父、ありがとう