火のない所に煙は立たず | ちょいと、戯れ言横丁・テーマトーク館

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春原圭による、よろず文章読み物ブログです。読んでくれた皆様との忌憚ない意見交換を重視したいと考えておりますのでよろしく。









 昔からある諺である。意味は「全く根拠がなければ噂は立たない。噂が立つからには何か根拠があるはず」ということである。これ自体は決して間違ってはいない。実際に煙が立っている以上、その煙の出所に何らかの火元があるに決まっている。当然の話である。そして、噂が立つにも何かそんな噂が立つような原因があるはずなのも、これも間違いない──なので、噂を立てられた側がどんなにそれを否定しても、また実際その噂の根拠が不明な状態であっても、この『火のない所に煙は立たず』という諺を盾に噂を信じて噂の当事者を色眼鏡で見てくる人はたくさんいるし、それを払拭することもとっても困難である。実際に煙を立ててる火元が何かはわからなくてもどこかに間違いなく存在してるのは確かなのだから、噂と言うのは立てられ損である。
 しかし、噂を元に当事者を責めてる人たちがその煙の“火元”を確認しようとしてる例はあまり聞かない。「何か根拠があるはず」のその根拠が何かが決定的に重要なはずなのに、そこを問題にする人があまりいないのは、大いに問題だと思うのだが…。
 実際に火元を確認してみると、実はこんなことこんなことだったなんて例は、別に僕が特別なわけではなく大抵の人には多かれ少なかれあることだろう。僕的には「ふざけんなよ、ったく」ではあるが、でもそこに火元が存在してるのは確かなわけで、その結果として煙が立ってるわけである。たとえ火元が普通にキッチンのグリルで立ち上ってる煙が焼き魚のものであってもそれを「焦げ臭い、何か燃やしてるだろう!」と感じたり、アロマテラピーでお香を焚いて立ちのぼる香りを「異臭がする」と感じたりする人がいて、その人の叫び声が元で近所の人たちが集まってきて騒げば、それで立派なボヤ騒動成立。こんな「アホな」なことであっても、状況によっては騒ぎを鎮静化させるのが非常に困難になったりするわけだ。
 もちろん、最初に騒ぎたてる人にもそれに乗っかって騒ぎに加わる人にも、上述のような類の“火元”のひとつやふたつは存在するわけで、そこから煙が立ってしまって自身が変な噂の渦中に立たされてしまう危険性は大いに認識しなければならない。そう考えれば、いたずらに他所様の煙を必要もないのに誇大に騒ぎ立てるのは、同様の事態が自身に跳ね返ってきたときのことを考えればやめとこう、ってなりそうなものだが、何でみんな煙を見て喜んで騒ぎたがるのだろうか…? その煙が自分の家でも普通に立つようなものか異常な不審火なのか突き止めもせずに一緒くたにして「火のない所に煙は立たず」で囃したてるのは、ある意味放火と同レベルの犯罪的悪趣味なのではなかろうか?
 そんな、悪趣味な方々へ、山口県周南市出身の保見なんとかさんの有名なこの言葉を謹んでお送りいたします──「つけ火して 煙喜ぶ 田舎者」