オカンと僕と時々オトン | ちょいと、戯れ言横丁・テーマトーク館

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春原圭による、よろず文章読み物ブログです。読んでくれた皆様との忌憚ない意見交換を重視したいと考えておりますのでよろしく。









 はい、説明するまでもなく最近映画化もされ、またテレビドラマにもなったリリー・フランキー著のベストセラー小説『東京タワー』のサブタイトルですね。実は僕はこの小説やドラマを読んだり観たりはしてないので、ストーリーなども大まかにしか知らないのですが、上京して東京で暮らすようになった主人公は故郷で過ごしていた幼少時代、父親はいたにはいたけどあまり家庭的な人ではなく、家で一緒に過ごすのは母親ばかりであったという境遇のようで、いろいろあって故郷を離れて単身上京後に、母親が病気で余命いくばくもないことを主人公は知り…、と、すいません付け焼き刃のあやふやな知識しかなくて──でも物語そのもののあらすじは今回の記事ではあまり重要ではないんです…。
 家にはたいてい母親と子供の自分との2人だけ、でも時々父親の姿もある──これって何のことはない、ごく普通のサラリーマン家庭ではありがちな家族風景である。いや、サラリーマンに限らず、勤務医であれ警察官であれ建設現場作業員であれタクシー運転手であれ、父親が自宅と離れた場所にある仕事場まで通っていれば、子供にとっての家庭での日々は『オカンと僕と時々オトン』状態なのではなかろうか? 公務員だって世間一般で思われてるほど毎日定時きっかりに退勤して早々と帰宅する人ばかりではない。毎日夕食を家族そろって食べられる家庭なんて、現代ではなかなかないのである──もちろん母親だって共働きで家を空けがちな家庭も多くあるだろうが、それでも子供と過ごす時間は父親よりはうんと多いだろうから、当の子供の印象としてはやはり『オカンと僕と…』になるのである…。
 いや、小説のあのタイトルに込められているのはそんな単純な意味ではないんだよって、そんなことはもちろんわかる。しかし、ベストセラー小説とは言ったって、読んでない人が少数派なわけでは決してない。読んでない小説や観てない映画に関して、タイトルの字面で印象を描いてしまうことって、僕もやることあるし皆さんだって知らず識らずやってることはあるだろうし、決して珍しいことではないと思う。話題が先行してタイトルがひとり歩きしている感のあるこの小説にしても、上述の一般家庭事情にからめて「僕んちはオカンと僕と時々オトンだよ」「あ、わたしんこともそうよ」なんて知り合いのオトナにしゃべってる子供が出てきても、不思議ではない気がする──それを額面通り真に受ける大人もそうそういないだろうけど、でもその子供のオカンやオトンにしてみれば、みっともいいことではないですわな…。
 こちらにも書いたことだが、小説や映画、歌詞などのフレーズがひとり歩きしてしまうと、往々にしてその中に込められたいろんな意味が置き去りにされたままになりがちなので、使う方も受ける方も、気をつけた方がいいと思う──しかし、考えてみると上述の一般家庭としての『オカンと僕と…』状態にしたって、家族としては決してよい状態ではないんだよね…。小説と現実、どちらの意味合いであれ、あまりいい意味で使う言葉ではない気はします…。