経験豊富なオトナの人のことを意味する表現としてよく用いられるのがこの言葉である。「酸いも甘いも噛み分けた本当のオトナ」という具合で、人生経験を積んで人情の機微も世間の風もすべてわかったオトナを指して用いられる──似たような言葉である「辛酸をなめた」と決定的に違うのは“酸い”=つらさ、厳しさ、試練ばかりでなく“甘い”=喜び、幸福感、やすらぎなどを併せて経験してるということである。しかし“酸い”ばかりにスポットが当たり“甘い”が罪悪視されかねない状況が残念ながら往々にしてある。人生には試練と同じ分だけ喜びも必要であることは忘れてはならないと思うのだが── こちらにも書いたことだが“甘くない”思考よりも“辛くない”思考をで物事を進めた方が結果的にうまくいく場合が多いし、また失敗したとしてもそれを糧として成功につなげることができるものである。つまり“甘い”味ばかりを求めているとどこかで必ず“酸い”をなめなければいけないハメに陥るが、その結果として酸いと甘いの両方の味を知ることができ、本当の立派なオトナに成長することとなる。しかし“酸い”しか知らずに育ってしまうとどうだろうか…。就職して数年後くらいの僕の後輩に、やたら自分がこれまでいかに苦労してきたかを強調する男がいた。「幸せを感じた経験とかないのか?」と問う僕に彼は自慢げに「ないですねぇ」と答えた(んなワケねえだろ、曲がりなりにも大学出られて一応マトモに就職もできてて、と僕には思えたが)のだった──で、そいつは仕事でもそれ以外でも何かにつけて物の見方がどこか反抗的、批判的であり(それも用いようではプラスに転化できる場合もあるのだが彼の場合反抗のための反抗からついに脱却できなかった)結局大成しないままいつの間にかフェードアウトしていった…。 この彼以外にも自称“暗い過去の持ち主”とその行く末を何人も見てきた経験から僕は“甘い”だけの人の方が“酸い”だけの人より将来性がある、という結論に達したのだった──彼らを見る限り“酸い”だけのつもりの人でも実は少なからず“甘い”に出会ってるのである。彼らと付き合ったほんの一時の期間の中でだけでもそういう場面を僕自身が垣間見ることが少なからずあった。ところがこれらの人は往々にして「ケッ! 甘ったりいぜ、ったく」てな感じで“甘い”を拒絶して離れたところでせせら笑ってたりする。だから彼らは「酸いも甘いも噛み分け」ることなく「不幸だ不幸だ」と言い続けながら“酸い”だけの人生を送ることになる。そうこうするうち隣の“甘い”だけのやつがいつしか“酸い”を経験してマトモなオトナに成長していくのだが、自分はいつまでも変われない…、と、これはあくまでも僕が今までの交友で見てきた中での結論ですけどね(苦笑)。 ともあれ本当のオトナになるには“甘い”も不可欠なのです。どんなふうに優しくされたら嬉しいか、どんなふうに思いやられれば幸せかを身をもって知っていないと、恋人や家族にそれを与えることはできないでしょ? バランスよく“酸い”と“甘い”を噛み分けていきましょう── |